『人形の家』・・・作品(仮)
2013.3.6 model*たま子
□乳房を見せたベストショットはブログでは発表できません。
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『この作品は偉大なるヘルムート・ニュートンがナターシャ・キンスキーをモデルに撮影した写真に触発されたもので、おこがましくもニュートンへのオマージュのつもりである。』
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僕が少年だったころ僕のベッドの上にはいつも人形が置かれていた。その人形はフランス人形だったりプードルだったりした。母は家の中に人形があることで田舎の生活がお洒落な雰囲気になると考えていたようで、常時置く場所を数カ所決めて僕のベッドもその場所の一つに選ばれていた。
僕には兄がいる。母は二人目の子供は女の子であって欲しいと願った。確かではないが、そう受取れるようなことを少年の僕に言ったことがあった。その名残がベッドの上の人形だったのだろうか。しかし、いつもベッドに人形があった疎ましさからか僕は人形を避けるようになり、次第に人形が怖くてたまらなくなった。
ただ、人形が着ていた肌触りの良い少女趣味な服の印象は、歳をとる毎に甦っては消えて、次第に嗜好として心の中の深いところに溜まった。
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たま子は僕の深層に埋もれた少女趣味を甦らせる女だ。三つ編みのルックスはこよなく乙女チックで、そもそも大人しいことに加えて極めて無口であることは人形的であった。
二週間前、僕はたま子のうぶな乳房を見てしまった。その時の静かな衝撃が今もつづいている。古典小説の表現を借りるならば、たま子の乳房は処女を意味していた。
たま子を想像してみる。彼女はそっと白い乳房を出しお気に入りの人形に自らの母乳を与えているかのようなポーズだった。それはずっと以前にみた著名な写真家が撮った写真に似ていた。
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今日たま子を撮った。僕が妄想したとおり、たま子は処女の乳房を出し無表情な人形に母乳を与えた。時折、僕たちの背後に人が通り過ぎる気配があったが、誰もたま子の授乳に違和感を持っていなかった。ずっと昔、女たちは人前で乳房を出して母乳を与えていた。この時のたま子も昔のようにごく自然に授乳をしていたのだろう。
たま子はエロチックだった。しかし、やがてたま子の無意識の誘惑は授乳という神聖な生命力によって掻き消されていった。
僕は、処女のたま子に母性が備わっていることに驚いた。そして、母が人形を置いた意味を解く糸口が微かに見えたような気がしている。
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