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平成最後の日に・・・

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平成最後の日に僕が撮った三枚の写真がテレビで見られる。商業カメラマン時代の無我夢中だった自分を思い出す。この撮影前にカメラのサクラヤにハッセルブラッドを買いに行き店員さんに使い方を習った。そんな調子でも全然大丈夫だった。なぜなら僕には最強のアシスタントがいたから。あの頃はスタジオではなんでもかんでもアシスタント任せだった。もちろん、スタジオ以外の撮影では全て自分でやったけど。

NHK総合・平成31年4月30日 14:05 - 16:00
ゆく時代くる時代〜平成最後の“きょうの料理”
2019-04-29 : 未分類 : コメント : 2 :

写真集『CINEMA GIRL/シネマガール』


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2001年に自費出版した『シネマガール』を飯沢耕太郎さんにお願いして恵比寿にある"写真集食堂めぐたま"に置いて頂きました。この写真集は街頭で声を掛けた女性をその場で撮影した作品がメインです。機材もハッセル+Plannar150mmが中心でコンタックスT2も使っています。機材など撮影データだけでなく撮影時のインプレッション付なのでその場の状況が良くわかりますし、勉強にもなります。(宣伝しすぎ??)

□僕にとってすごく大切な写真集です。もちろん傑作です。購入ご希望の方はこちらへどうぞ。。。こちら。

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"写真集食堂めぐたま"にはすでに『鉄道と彼女』『MOSO』の2冊があり『シネマガール』で三冊目となります。こちらは料理がとても美味しいです。ぶらっとお出かけになってください。お昼時を避けていらっしゃればゆっくりご覧になれます。
”写真集食堂めぐたま”⇒http://megutama.com/


2016-06-06 : 未分類 : コメント : 0 :

回想『初夏というもの』

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2005.5.10/model*kirara

          ☆

 2005年5月10日ほど初夏と言える日はなかった。

 次の年もその次の年の5月もモチの樹の花はやや生彩を欠いていた。その後も毎年五月にこの場所を訪れているが、この美を越えていると直感できるような咲き具合はない。それは花に詳しくはない僕にも断言できるほどの違いだ。

 もう一つ。この自転車に乗るkiraraも今は懐かしい。
 kirara、kiraraと呼べば、kiraraはやってくる。そう信じたい。

 まずは、春よ、春よ、と呼んでみる。


□マキナ67で撮影したモノクロ作品はすでに『モチの樹の下で』というタイトルで2005年の個展で発表している。
□この樹が、モチの樹で正しいかどうかわかりません。お詳しい方がいらしたら教えてください。

□被写体モデル募集。。ただ美しいだけではなく心に残る作品を撮らせてください。
 連絡は ad28682@ha.bekkoame.ne.jp


2016-05-06 : 未分類 : コメント : 0 :

(回想)もう一度会いたい(Perfect!!)その1


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2011.6.24吉祥寺にて、、

女の子を見て軽々しくパーフェクトなんて思わないけれど、この子を見た時は正直うろたえるほどだった。モデルやタレントならカッコ良く着こなすこともあるが、どこか着こなしに業界ずれを感じる。ごく日常的にこのファッションを決めている子は稀。どうして日常的かと言うと、彼女の全体に気負いがなくあまりにも自然だったからだ。僕が一番気に入ったのは、顔とヘアスタイルなのだ。染めていないヘアを平凡にカットしている。顔も薄めのメイク。本物の品が備わっている。だからこそ、このバルーンの水玉ワンピースが似合う。このバッグはあるブランド。たしかどこかで見たことがある。だれか教えて。。できたら彼女から直接聞きたいものだ。



2016-05-04 : 未分類 : コメント : 0 :

(回想)柱時計の思い出

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2012.4.6/model*ジェマ

           ☆

赤いワンピースの秘密について誰かに伝えたい
恋というのではないけれど、息苦しさと切なさがあった

ベランダに放置した柱時計の文字盤に砂粒を見つけた
その砂の一粒を人差し指のつま先に載せて、そして空へ弾き飛ばした

もう一粒を口の中に入れ飲み込むと
遺骨の味がした

           ☆
          ☆  ☆
           ☆





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□被写体モデル募集。。ただ美しいだけではなく作品を撮らせてください。連絡は ad28682@ha.bekkoame.ne.jp
2016-04-22 : 未分類 : コメント : 0 :

被写体モデル募集!!


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2006.11.10撮影/model*ミッチ

ネットを通じて応募してくれる女性も同じようにお一人ずつ丁寧に作品にして行きたいと思っています。

○作品・被写体モデルと写真塾の被写体モデル(ギャラあり)を募集しています。詳細はこちらをどうぞ⇒⇒⇒
○現在募集しているのはカメラマン、フォトテクニック、日本カメラなどに作品を発表している魚返一真の作品の被写体・モデルで28th魚返一真個展、魚返一真写真塾、海外出版収録作品が対象です。
2016-04-21 : 未分類 : コメント : 0 :

『MOSO』



 個展を前にしてこの一年弱の間にあったいろいろなことを思い返しています。

                  ∴

 何と言っても一番は新作を休むことなく撮りつづけることができたことです。去年の26th個展中に、この一年を写真家としての本当のスタートと位置づけていました。その個展が終わったのが7/27でしたが、8/1には新作を撮り始めました。僕はなみなみならぬ決意でした。いつもの年と同様にモデルさんに恵まれて順調に撮影ができました。生涯一妄想写真家であろうとすれば当然のことですが、作品の質を落とさないことを常に考えて撮れたことを神仏に感謝しているところです。

 お弟子さんの井上和俊氏の写真集をデザインし完成させることができました。僕のできることはやりたいと思っていた、そのひとつが誰か僕の流れをくんでくれている写真家を育てることでした。少し達成感があります。

 デジタルカメラを買いました。作品にもしています。27th個展で展示します。ところが今はデジタルをやめてしまおうかという気持がよぎっています。さて、どうなりますか。。。

 思い返せば、2007年にロンドン、フランクフルト、その他のブックフェアに何冊かの写真集を展示したのをきっかけに海外での出版を視野に入れはじめて8年が経過しました。当時複数の国の編集者に興味を持ってもらったことは励みにもなりました。だからと言って、自分の作風を崩してまで出版しようという方向に行かなかったのは精神に支配された不器用な作風からすれば当然だったのかもしれません。

 そんな僕ですがヨーロッパの出版社に声をかけて頂きました。紆余曲折はありましたが8月には二社から出版の意向を伝えられました。僕のあるがままの23年間を編纂する意向を持ったフランス人編集者に作品を託すことにしました。フランスの出版社から写真集を出版することになりました。タイトルは『MOSO』。発売は12月か来年の1月になる予定です。

                  ∴


□『MOSO』は日本文化(小説や映画)に精通したフランス人の手によってフランスの出版社から出版されます。ただし、日本では公表できない内容を含むため国内で販売されません。



2015-09-11 : 未分類 : コメント : 0 :

2015年9月号・掲載誌・・月刊カメラマン及び日本カメラ

※二つの写真誌に作品が掲載されます。

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○月刊カメラマン9月号(8/20発売)
特集『着エロの戦慄2015秋』に作品が掲載されます。
今回は4ページも頂きました。すべて新作を掲載していただきました。

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○日本カメラ9月号(8/20発売・108頁)
『THE NUDE 2015』〜「妄想のタイムトラベルをライカレンズで撮る」です。




□写真に関することをほぼ毎日ツィートしています。⇒⇒twitter
2015-08-19 : 未分類 : コメント : 1 :

被写体モデル募集!!


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○作品の被写体モデルと写真塾の被写体モデルを募集しています。詳細はこちらをどうぞ⇒⇒⇒

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○作品の被写体モデルと写真塾の被写体モデルを募集しています。詳細はこちらをどうぞ⇒⇒⇒








2015-07-31 : 未分類 : コメント : 0 :

『秋の組曲』

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                 ﹆

 僕が中学一年生のとき教室のあちこちに穴があった。たとえば、教室の後方の壁にある連絡用の黒板のすぐ横や天井そして女子生徒の机の下などにあった。それは覗き穴だった。僕はその三つの穴を時と場合によって選んで訪れた。
 何を覗くかというと、放課後女の子たちが談笑する教室の風景や体育のための更衣、そして机に座って勉強をしている女の子のスカートの中だった。この素晴らしい経験がもたらしたものは、13才までに覗きというものにごく自然に慣れ親しみ成人を待たずに変態化したことだろう。そして、心の中に覗き見た女の子たちの残像が固まっておそらくエロスの成長はそこで停止した。
 信じてもらえる自信はないが、一番印象に残っているのは放課後の教室で女の子たち数人が談笑している場面である。女の子だけの世界を異性の僕が覗き見する状況の素晴らしさは、三島が『午後の曳航』に書いてあるとおりである。(三島の場合は対象が美しい母であったが・・・)

 僕はカーステレオから『フランス組曲』を流しながら覗きの経験を三人娘に熱く語った。僕は覗き見たあの放課後の思い出を甦らせるためにこの三人を連れて車で郊外へやってきた。秋の陽射しはやわらかく照らし女の子たちを包む世界のすべてがセピア色だった。僕はそのノスタルジックな楽園で思う存分女の子たちの放課後を撮影したのだった。たとえば、三人が輪になって遊んだり、列になって一人足りないアビーロード歩きをしたり、女の子同士頬ずりをしたり、ルーズに座った女の子の下着が見えたり、さらに下着さえ脱いで股間を開いて読書したり・・・。

 思う存分放課後を撮った僕はついに目眩とともに立ち尽くし、色づき始めた樹々の葉っぱが雲ひとつない秋空に浮き立つのをただ眺めていた。そして、<あの日々こそ僕がいちばん幸福な時代だったんだな>、、そう心の中でつぶやいたのだった。



                 ﹆




□モノクロは修正しています。無修正版は27th個展にて展示します。



 
2014-10-30 : 未分類 : コメント : 0 :

ブランク


このとことあれこれ作業が多くてブログ更新していません。
ツイートはしています、、、

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2014-05-27 : 未分類 : コメント : 0 :

魚返作品と記事が掲載されます。。。

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1/20発売の月刊カメラマン2月号に魚返作品と記事が掲載されます。
P81〜P82です。



□2014年度・魚返一真写真塾への入塾者を募集しています・・・こちら。
□Twitter⇒⇒









2014-01-17 : 未分類 : コメント : 0 :

残暑お見舞い申し上げます

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今年の夏は暑かったですね。
まだまだ残暑はつづきそうですが、
お身体を大切に。




2013-08-24 : 未分類 : コメント : 0 :

理乃ちゃん出演の演劇

今回は舞踏家さんをお招きしての公演です!
更にこの劇団は能楽の要素を取り入れた現代劇なので、
現代劇×能楽×舞踏のスペシャルコラボレーションが実現致しました!

今回は実際に現代の日本で起こった犯罪をモデルに作りあげた舞台です。テーマは重いですが舞台は重く作ってないです。儀式的な要素が強いかも…。
実際に現代の日本で起こった事なので現代を生きる観客自身にも深く関わってくる舞台です。
是非是非観に来て下さい。
ちなみに私は赤いランドセルを背負って登場します(笑)
よろしくお願いします。

◎劇団阿彌/第14回公演

「静かなる傾斜」

公演日程:
11月9日(金)19:30
11月10日(土)14:00/19:30

料金:
前売り2500円/当日3000円/ペア割4000円(予約のみ)

会場
シアターバビロンの流れのほとりにて
〒114-0003 東京都北区豊島7丁目26−19
(東京メトロ南北線王子神谷駅3番出口から徒歩約12分)
http://www.h7.dion.ne.jp/~babylon/babylon_0.html
出演:
嶋津和子、中島理乃、坂入友里香、福井陽介、小島一洋、石黒繭子
作・演出 岡村洋次郎


2012-10-22 : 未分類 : コメント : 0 :

九州へ・・・父の死

故郷、大分県玖珠町に行っていました。父が突然亡くなったからです。84歳と高齢でしたがとても元気だったのでがっかりしました。10日に告別式を終えて昨日戻ってきました。皆様方にはメールの返信などまったくしておらずご迷惑をおかけしました。特に、1/8正午にひばりが丘駅で待ち合わせしていたお二人には大変申し訳なく思っています。
当然ですが、今後の活動は今までどおりやっていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

□1/23(日)、、WSを開催します。詳細は本日中にアップします。
2011-01-14 : 未分類 : コメント : 4 :

『幸福カメラ』

僕がカメラと出会ったのはたぶん10歳だったと思う。父親のオリンパスペンだった。ハーフサイズだから12枚撮りのカラーフィルムで24枚撮れた。僕はその小さなカメラを手にしたときとても幸せだった。それが僕にとって最初の『幸福カメラ』だった。そのときの気持ちを覚えている。今でも時々その当時のことが蘇る。やっぱりカメラはいい。

ディスタゴンを修理に出したところ見積もりが28000円。中古市場で買えば18000円。

人にとって幸福とは何だ?絵に描いたような幸福なんてどこにあるんだ?ふとカメラケースの中を見るとボロボロのカメラが入っている。しばらくいじっていると故郷が見えてくる。懐かしく悲しくて胸が痛む。全部僕の『幸福カメラ』。だけどだんだん修理不能になってゆく。

元日の朝日新聞の天声人語にいい事書いてあったなあ。河合隼雄かあ、、、

今年もネガで撮るよ。カラーでもモノクロでも。だって僕の『幸福カメラ』はとても古いからデジタルじゃないんだ。フイルムってね銀塩に愛がしみ込むんだよ。僕は絶対にデジタルを否定しないよ。ただほんの少しだけデジタルより銀塩の方が好きなだけだよ。その僅かな違いが気になってさ、、それだけのことだよ。

しかし東京はずっと晴れ。永遠に続きそうに思うよね。日本海側ではその真逆なんだね。九州の田舎で一人暮らしの親父に電話したら車のタイヤまで雪で埋ってるって。

写真を撮ることは厳かなこと。特に人物を撮るときは敬意を持てるといいね。今年も皆さんにとって素晴らしい一年でありますように。みなさんの『幸福カメラ』が自分だけでなく人を幸せにできますように、と祈ります。あ、、そうだ、、僕のワークショップに来ませんか?いっしょに幸せを撮ろうよ。
2011-01-04 : 未分類 : コメント : 0 :

道場六三郎・80歳の挑戦

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テレビを観ていたら僕が撮った写真が出てきてびっくり。
番組のことをすっかり忘れていた。懐かしい写真です。
番組は『道場六三郎・80歳の挑戦』。三日午後9時、デジタル教育3

この頃は仕事前に必ず写真のコンテを描いてた。懐かしがっているだけでなく、初心に返ろうと心に誓う。プロカメラマンになって2年目、1993年9月撮影。すべてをまだ経験の浅い僕の自由に撮らせてくれた演出の田中経一さんとプロデューサーの松尾利彦さんに感謝します。

『道場六三郎・80歳の挑戦』
料理人・道場六三郎が、80歳の誕生日を目前に、自らの人生を総括する料理イベントに挑戦。常に人々を驚かせる創作料理を作り続けてきた道場は、今回、どんなメニューに挑むのだろうか? こだわりの食材探しや器選び。そして“天才型”の道場は、ひらめきで試作を繰り返しては、惜しげもなく没にする。道場が、ちゅう房で苦悩する様子から、料理イベントの舞台裏まで、カメラが密着する。
2011-01-03 : 未分類 : コメント : 0 :

謹賀新年

■今年の僕は・・・、いつもの年とそれほど変わらないけど、制服の女性を多めに撮りたいと思っています。それから昨年から撮り始めたテーマ『恋』を追います。

■僕の24th個展『放課後カメラ~恋』9/27(火)~10/2(日)渋谷ギャラリー・ルデコにて。いつもの渋谷ルデコにて開催します。去年開催できなかった分もありますので内容の濃い個展になると思います。

■ワークショップも月に二回ぐらい開催します。今年は初めてのグループ展もあります。5/31(火)~6/5(日)渋谷ギャラリー・ルデコにて。。そちらもしっかり取り組んで良い写真展にしようと思っています。

□皆さんの健康をお祈りしています。お互いに元気ならまた会えますから。

☆1stグループ展参加人数について13名としたいと思います。現在10名。
2011-01-02 : 未分類 : コメント : 0 :

良いお年を・・・2010.12.31

今年も皆様方のお陰でたくさんの作品を撮ることができました。
今年は様々な理由があって久々に個展を休みました。12月のライブが満員の盛況となったことは僕にとってどれだけ励みになったことでしょう。本当にありがとうございました。

皆様、良いお年を!
2010-12-31 : 未分類 : コメント : 0 :

facebook・・・2010.12.28

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いつだったかな、アビールさんが私の写真はfacebookで見られます、、というのでさっそくfacebookのIDを取った。しかし、アビールさんの写真を見たあとはほっぽったまま。時々、友達になりたいみたいなメールが来て困惑していた。昨日の朝、僕が良く聞くラジオ番組『バラカンモーニング』でFacebookのことをピーターが語っていた。ちょうど忙しくて全部聴く事ができなくて何だか良くわからなかったけど、使い方みたいなものがあってそれにはまればfacebookはヨシということみたいだった。

僕はさっそくfacebookを開いて自分のIDを打ち込み何度目かでpasswordも思い出しログインに成功した。次にずいぶん以前にお友達希望をくれていたmamiちゃんの顔アイコンをクリックして友達になった。三人になった。ガンザオーリの斉藤さんにはこっちから友達になってくださいとひれ伏した。

僕の友達になりたい方、(変な言い方だよね、、誤解されそう。確かに僕はほとんど友達がいなんだけど・・・それはあえて友達欲しくない、、みたいな)facebookでの友達になりたい人はどうぞ。でも知らない人とか今までに何のコンタクトもない人は??ピーターによれば遠くの自分の知らない人が何らかの理由でコンタクトをとりたい場合に有効らしいのだ。つまり以下のような人たちと友達になれば良いということかな??ちなみに、例えばTBSの正面玄関で脚立の上に載ってピーターバラカンを撮影したというだけの僕はfacebookを通じて彼と友達になれるの?

・僕の作品の熱烈なファン
・僕の塾やWSに参加しくれた人
・知人
・モデル、モデル希望、モデルに興味がある、別に何でもないけど女性
・業界関係者で僕の作品に興味がある人

facebookのIDをお持ちの方、お待ちしています。⇒facebook
2010-12-28 : 未分類 : コメント : 0 :

『突然プロカメラマンになる方法』(30)テレビ・2~閉鎖的な世界

~魚返一真の自伝的小説~

 僕は車でサクラテレビへ向かった。サクラテレビは新宿からそれほど遠くない高台にあって、すぐ近くには女医さんを育てる巨大な大学病院がある。玄関で警備員と軽い挨拶をして美しい受付嬢の方へ歩いた。

「料理の巨人の美術デザイナーの、、えっと稲葉さんにお会いしたいのですが」
「はい、お客様のお名前は、、」
「魚返です」
「承知致しました、少々お待ちください」

 昨夜起きた事件のことを検証してみた。僕が城之内カラーに発注した新番組『料理の巨人』用の巨大な写真三枚が、午後四時に番組収録が行われるサクラテレビの第六スタジオに城之内カラーの数名によって搬入されたはずだ。写真の仕上がりはこちらでチェック済みだし、問題があったとすればパネルに貼付ける段階だろう。

「魚返様、ただ今稲葉がこちらへ参りますので、もう少々お待ちください」と受付の女の子が言った。数分後、稲葉と思われる男が受付嬢に一言いうと僕の方へまっすぐに歩いてきた。アルマーニ(のような)のスーツを着た色黒で強面の男だった。こいつと殴り合ったら僕なんぞひとたまりもないと思った。

「魚返さん?」
「はい、魚返です」

 稲葉は僕を促すようにテレビ局の中を無言で歩き始めた。迷路のような廊下を右に左に歩いて食堂へ出た。何故かテレビ局はどこも迷宮のような作りで、内部を迷わずに歩けることが業界で仕事をするための最初の試練なのだ。稲葉は僕に何も言わず珈琲を2杯トレーに載せて奥の席に座った。食堂にはテレビ局らしく見た事のある顔のタレントやアナウンサー?がいた。しかし芸能界に疎い僕にはタレントの名前はわからなかった。

「いきなりですが、本題に入りましょう」
「ええ、どうぞ」

 稲葉が言ったことはこうだった。昨日の午後四時に城之内カラーからパネル用の写真が配送されてきた。その写真を城之内カラーの社員がベニヤ板でできたパネルに貼付けようとした。しかし、城之内カラーが来た時にはすでにパネルは巨大なセット、つまり『料理の巨人』のキッチンスタジアムに組み込まれてしまっていたのだ。何らかの理由でキッチンスタジアムのセットのくみ上げが時間が早まったのだろう。僕が指定した搬入時間では貼付けが間に合わなかった。つまり、写真が貼られていないベニヤがキッチンスタジアムの中央に三枚露出していたのだ。それを見た城之内カラーは、貼付けを断念し写真を置いて帰ろうとした。しかしサクラテレビの大道具は、写真はそっちの持ち場、つまり城之内カラーに貼付けをしろと言った。城之内カラーは、ならばパネルを一旦降ろして床で貼りたいと。大道具はそっちが勝手に降ろすなりやってくれ、、、そんな問答を繰り返すうち大道具が切れて殴り合いになった。当然、城之内カラーの二人に勝ち目があるはずはない。

 しばらく沈黙があって、「なるほど、どちらがどちらということでもなさそうな気がします」と僕が口火を切った。
「そうじゃないでしょう」と低い声で稲葉が言った。
「まあ、聞いてください。城之内カラーは一般的な仕事として今回の件を受けているのですが、聞いたところテレビの業界には業界のやり方があるようですね。それを知らなかった城之内カラーに問題があったかもしれません。城之内カラーは日本のプロラボの最王手です。それでもやり方がわからないのがテレビの世界なんですね。いずれにしても、僕が城之内カラーに発注したのですから全責任を僕がとりましょう」
「責任?それはもういい。すでに城之内の連中に鉄拳を加えていますから」
「ではどうすれば、、、」
「私は魚返さんに今後この仕事から降りてもらおうと思った。しかし考えが変わった。理由は、あの写真がなくては困るからです。もちろん、魚返さんの態度次第では僕もあなたを殴っていたでしょう。しかし、そっちが非を認めるなら、、、」
「僕もこの仕事から降りたいと思っていました。それが無理なら、、どうでしょう、この際そっちのやり方を教えて頂けませんか」
「いいでしょう」

 テレビ業界で仕事をすることは、広告や雑誌で仕事をするのとまるで違うことを知った。ただ写真を撮って納めたら終わりではない。複雑な決めごとや収録までのタイムテーブル、その他テレビ業界そのものの仕組みを知らなくては仕事を無事故でこなすのは難しい。稲葉が僕に教えた事は業界を知り尽くした業者、テレビジョンフォトと組めということだった。僕もそれしかないだろうと思った。しかし、いざ発注してみるとテレビジョンフォトの見積もりは城之内カラーの2倍の金額で、テレビという世界の金の掛かり方は雑誌などとは比較にならないことを知った。その後『料理の巨人』は高視聴率を獲得し、僕の番組とのかかわりも深くなって行き、いくつかのメジャーな番組から様々な依頼を受けることになって行くのだ。もちろん、苦労も比例して増えて行った。

(つづく)

□時代が前後することもあります。今後も僕の経験を書いていきます。皆さんが楽しんで頂けると嬉しいです。参考になると嬉しいです。(なるはずない?)でも拍手をお願いします。
2010-09-19 : 未分類 : コメント : 2 :

『突然プロカメラマンになる方法』(29)テレビ・1~乱闘騒ぎ

~魚返一真の自伝的小説~

 1993年の10月のある日のことだ。その日の午前中、僕は前日に撮影したフィルムの現像チェックをするために新宿の城之内カラーの店頭を訪れていた。いつもならカウンターの中から愛想よく僕に挨拶をする男性社員の雲野がなぜか僕に背を向けたままだった。仕方なく、雲野の隣に立っている女性にテスト現像が終ったフィルムを出してもらった。チェックが終って店を出ようとした時、他の客と話す雲野の声がしたので、僕はドアの内側で立ち止まって会話を聞いていた。

「雲野ちゃん、どうしたの、その顔」
「いいえ、何でもないです」
「何でもないって、かなり腫れてるよ、殴られたの?」

 客にしつこく聞かれるうちに雲野は高揚し次第に声が大きくなって、まるで僕の方へ投げつけるような口調になった。

「どうもこうもないよ。殴られたんですよ、こっちにゃ何の落ち度もないって言うのにね」
「そりゃひどいね。口ん中切っているでしょう。歯も折れているでしょう。酒飲んでてやられたの?」
「違いますよ、テレビ局ですよ、、、」

 僕はハッとした。僕は一週間ほど前、雲野にサクラテレビでオンエアされる『料理の巨人』という新番組用の巨大なパネルを発注していた。その配達指定日が昨日の夕方だったこを思い出した。僕が発注した仕事でなにかトラブルでもあったのだろうか。僕は雲野の方へ歩み寄った。

「雲野さん、その顔のキズだけど、まさかサクラテレビで?」
 
 雲野は僕の問いかけに答えず、そっぽを向いたままだった。

「ねえ、僕の仕事で殴られたの?答えなよ」
「まあ、そういうことです」
「何があったの?」
 
 何度理由を聞いても雲野は答えなかった。その時、ポケベルが鳴った。『料理の巨人』を制作している東京テレビワークからだった。僕はすぐに城之内カラーを出て、店の前の公衆電話から東京テレビワークに電話した。

「はい。東京テレビワーク、料理の巨人制作室です」
「魚返ですが、、、」
「はいはい、魚返さんですね、、少々お待ちください。魚返さんのポケベル鳴らした川崎に代わります」
「・・・」
「川崎です、おはようございます」
「なんかあったの?」
「それが、昨夜のセットの立て付けで、魚返さんがよこした連中とサクラテレビの大道具さんとの間でトラブルがあったらしく、最後は殴り合いの喧嘩になったんです。ご存知ありませんか」
「やっぱりそうだったんだ」
「それで、サクラテレビの『料理の巨人』のスタジオセットの責任者が、すぐに魚返さんに来るように、という連絡がこっちに来ているんです」
「ああ、そう。それで相手は怒っているの?」
「ええ、大変な剣幕です」
「わかった、これからサクラテレビに行くよ」

 今回は僕も殴り合いを覚悟しなくちゃならないのかもしれないと思った。少年時代に何度か経験した殴り合いを思い出していた。腕っ節の弱い僕には口喧嘩しか勝機がなかった。最初が肝心だと思っていた。言葉で強気に出て相手がひるまなければ、あとはぼこぼこに殴られて無惨に倒れる。それが僕の喧嘩なのだ。しかし、ガキの頃の喧嘩の経験がここでも通用するはずがない。僕は城之内カラーの雲野の腫れた顔を思い出し、果たし合いを覚悟して河田町にあるサクラテレビの第六スタジオへ向かった。

(つづく)

□時代が前後することもあります。今後も僕の経験を書いていきます。皆さんが楽しんで頂けると嬉しいです。参考になると嬉しいです。(なるはずない?)でも拍手をお願いします。
2010-08-25 : 未分類 : コメント : 0 :

『突然プロカメラマンになる方法』(26)ファッション・4~出会いっていいなあ

~魚返一真の自伝的小説~

 とにかく僕は城之内カラーへ向かった。と言うか、何かにすがるようにそっちへ足が向いてしまっていた。カウンターで接客している森昌枝に会うためだった。

「やあ、森さん、久しぶりだねえ、、元気?」
「はい、元気ですよ。魚返さんもお元気でやってらっしゃるご様子で、嬉しいです」
「ああ、それほどでもないけど、、」
「ところで今日は何をお困りなのでしょう?」
「えっ!、僕が困ってる?」
「失礼しました、てっきり・・・」
「実は、そうなんだ。何とぞ教えてくだされ」
「はい、、待ってました。そうこなくっちゃ!」
「う~、、実はフィルムとフィルターのことを教えて欲しいんだよ。スタジオでファッション撮影をするんだよ。で、、告白するけどスタジオ初めてなんだよ」
「はい、知っていますが、、、」
「はぁ、、まあ話を進めよう。安全にカッコ良く撮りたいんだけど、、フィルムは何を使ったらいいかなあ?」
「それなら、以前にご紹介したEPPが安全かと思います。ISO100ですし、、、大きな声では言えませんが、その筋のカメラマンさんもEPPを使っている人が多いです」
「よし!EPPを50本くれ!」
「はい、ありがとうございます」
「あと、フィルターなんだけどさあ、、何がいい?」
「はあ?フィルターは専門的すぎて、、私ではちょっと・・・」
「そこを何とかさあ、、」
「私の知るところでは、その筋のカメラマンさんは一番弱いものをお選びになります」
「よし!フィルター、弱い方から二種類、、それを全色くれ!」
「色をお選びになってからご購入なさってはどうでしょう?」
「あのねえ、、僕はド素人なの、、色なんて何が何だかちんぷんかんだから、全部テスト撮影するんだよ!」
「なるほど、、」
 
 僕はコダックのラッテンフィルターとフジのCCフィルターをそれぞれ全色購入して、自宅でテスト撮影することにした。まあ、初心者ならこれぐらいの勉強は当たり前だと覚悟したのだ。僕にファッションページの撮影を依頼した編集者が、僕の今の状況を知ったらと想像して、ちょっと悪いなと思ったけれど、すぐに可笑しくなって森昌枝の前で吹き出してしまった。

「何が可笑しいのですか?私の顔、、変ですか?」
「いや、違うよ、、こっちの話、君には関係ないよ。あっ、そうだ!森さんさぁ、飛び切り優秀なスタジオアシスタントを知らないかなぁ」
「優秀かどうかわかりませんが、あちらの貼り紙をご覧なってみてはいかがでしょう」

 森昌枝が指差したのは、店の入口の脇の壁に張っているコルクボードだった。そこに五十枚近い数の貼り紙があった。それらは、アシスタントやります、運転手やります、カメラマンやります、、みたいな内容で、ボードはまるで素人御用達の音楽スタジオの壁に張ってあるバンドメンバー募集のようだった。アシスタントの貼り紙は三十枚ほどあった。僕はそれを片っ端から読んだ。そして、一人の男の電話番号を控えたのだった。その男のチラシにはこう書いてあった。「私は玄葉明です。アシスタント歴10年。得意なジャンル~スタジオワーク。対象~人物、ファッション。当方、、ニューヨークへカメラの武者修行へ行く資金が必要なためアシスタントをしています。他のアシスタントよりギャラが高いのは、スタジオワークなら誰にも負けないし、あなたが希望する明かりを作る自信があるからです。近い将来、旅立たなくてはなりません。時間がないのです。どうぞよろしくお願いします・・・」

 僕は城之内カラーを出て、近くの公衆電話ボックスに入った。

「もしもし、僕はカメラマンの魚返って言います。玄葉さん?」
「はい、玄葉です。お待ちしておりました」
「は?待ってたの?」
「はい」
「何で僕が君に電話するって知ってたの?」
「実は、ついさっき城之内カラーへ行って貼り紙をして来たばっかりで、その時、あなたとカウンターの女の子の話を耳にはさんで、、それできっと私にアシスタントを依頼してくると思ったのです」
「ああ、そうか、でも、、それから20分も経っていないのに、君はもう家に帰ってるの?」
「あ、はい、実は自分の部屋がない状態でして、、つまり、いずれ近い将来ニューヨークへ行くつもりでるから節約のため部屋は引き払って家賃を浮かせて、今は友人の部屋に居候しているんです」
「なるほど、、で、その友人の部屋ってのが城之内カラーの近くなんだね」
「はい、そのとおりです。電話ボックスの外の古いビルの三階を見てください」
「ちょい、待って、、、あ!手を振ってるひげ面の汚い人!それって玄葉くん?」
「はい、そうです」

つづく

□時代が前後することもあります。今後も僕の経験を書いていきます。皆さんが楽しんで頂けると嬉しいです。参考になると嬉しいです。(なるはずない?)でも拍手をお願いします。
2010-07-17 : 未分類 : コメント : 0 :

『突然プロカメラマンになる方法』(25)ファッション・3~追いつめられる

~魚返一真の自伝的小説~

「もしもし、赤坂アートスタジオですか?そちらのスタジオをお借りして撮影をしたいのですが、ファッション写真を得意としたアシスタントを付けていただけませんか?」
「それは、、、」
「いませんか?そんなアシスタントは」
「アシスタントはカメラマンさんの指示で動いておりますので、当日スタジオでどんな撮影状況が欲しいかアシスタントに詳しく指示を頂ければご意向に沿った照明をお作りできると思います。つまり、スタジオ撮影の照明に関しまして彼らなりに経験がありますが、彼らは実際にカメラを覗いて撮影したことがないんです。ですから、自分たちが作った照明で撮影するとどうなるかという知識が足りないと思います。要するに、照明を作れても、レンズやフィルム、フィルターなどをどう選びどう組み合わせるかは、カメラマンの企業秘密の部分ですし、カメラマンの個性の部分だと思うのです。ですから、アシスタントの仕事はカメラマンさんの指示に従って照明を作ることだけしかできません」
「そうですか、、、」

 僕は困った。今の僕はスタジオの知識がまったくゼロだから指示など出せる状況にないのだ。僕が欲しいのは、僕はただシャッターを押せば良いように、何もかもやってくれるアシスタントなのだった。僕はアシスタントの問題をかかえたまま、とりあえずスタジオ撮影で必要な機材を揃えることにした。まずはいつものように新宿のカメラ店、ウメ屋の浜地君のお世話になることにした。

「やあ、久しぶり」
「いらしゃいませ、今日はどんな撮影でお悩みでしょうか」
「おいおい、お悩みでしょうか、はないだろう。こっちは一応プロカメラマンとして立派にスタートを切った身だよ」
「ああ、そうでございましたね。それは失礼しました」
「それがねえ、、浜地君、、実はスタジオ撮影を控えているんだよ。僕はスタジオのこと全然知らないからさ、、」
「なるほど、やはりお困りで。。承知しました」
「まあ、よろしく」

「まず、シンクロコードですが、お客様のコンタックスには接点が着いているので、そちらにシンクロコードの端っこを接続して、一方を汎用ストロボのシンクロ接点に入力してしまえば、あとはシャッターを押すとストロボが発光します」
「はあ?汎用ストロボって?」
「あの、、発光量の大きいストロボセットで、四角く大きなジェネレーターを床に置いて、ヘッドとう発光部分から出た光をアンブレラやソフトボックスなどというものを介すことで、柔らかい光を作ります」
「あっ、それテレビとかでスタジオ撮影のシーンが映った時、パッパッと光って、その後にチッチッチッチ~、って音がするやつね」
「そうです、その音の間に次の発光の為の充電をしているのです」
「で、、その汎用ストロボはこっちが用意するの?」
「いいえ、すべてスタジオで用意されていて、時間単位で貸し出ししています。シンクロコードもアンブレラやソフトボックスも借りられますが、カメラマンさんが自分の所有している機材を持込むこともあります」
「ああ、良かった~、僕は百パーセント全部をスタジオでレンタルする!」

 こんな具合に機材の問題はそれなりに解決して行った。

「ああ、助かったよ、何だかやれそうな気がしてきた」
「お客様、ところでフィルムやフィルターはどうされますか?」
「はあ?どうされてって、フィルムもいろいろ問題があるわけ?」
「実は、スタジオ撮影では様々なフィルムとフィルターの組み合わせによってカメラマンさんが出したい色になるんです」
「ぎゃあ~、、そんなこと今さら言われてもねえ、、フィルムはわかるけどフィルターってどういうこと?」
「いわゆるゼラチンフィルターと言われているものでして、、」
「ああ、それ知ってる。ガイドブックに載っていたけど、面倒だから無視していたんだよ。そうだ、赤坂スタジオのオヤジも電話でフィルターがなんちゃらって言ってた」

「じゃあ、フィルムとフィルターのことも教えてもらっちゃおう!」
「そうして差し上げたいのはやまやまですが、私にはそんな知識はありません。プロカメラマンでも正直、使いこなせている人は少ないんです。私にそのような知識がありましたら、とっくにプロカメラマンになっていますから」
「あ、そう、がっくり、、」

 スタジオの機材については多少知識ができたのだが、新たな悩みが増えてしまった。フィルムとフィルターだ。加えて、まだ僕の求める、何でもできる万能アシスタントは見つかっていない。撮影まであと数日。
 僕はいよいよ追いつめられたみたいだ。

(つづく)

□時代が前後することもあります。今後も僕の経験を書いていきます。皆さんが楽しんで頂けると嬉しいです。参考になると嬉しいです。(なるはずない?)でも拍手をお願いします。
2010-06-16 : 未分類 : コメント : 0 :

『突然プロカメラマンになる方法』(24)ファッション・2~~ミミちゃんからの情報

~魚返一真の自伝的小説~

 ミミちゃんは女子大の3年生で遊び盛りだった。一緒に仕事をした後は必ず「何か食べたり、遊んだりしましょうよ~」と言う。僕は年齢を10歳ほど若く偽っていたから、ギャップがすごくて、ミミちゃんのお相手はとても苦手だった。僕が渋っていると「経費だから、、パッと行っちゃいましょよ~。何だったら帰りにお家にお土産も買ってっていいし~」と、当時のライターは多かれ少なかれそうだったが、取材費を完全に私物化している。渋々お遊びについて行くと、ディスコで慣れない踊りを無理強いされたり、芸能人御用達らしい深夜営業の焼き肉屋で体育会系のあんちゃん並みに骨付カルビを食べたり、すでに中年に差しかかっていた僕にはとても辛いものだった。しかし、そんな僕がミミちゃんを食事に誘った。
 
「魚返さん、今日はどうしたの?いつもは仕事が終ったら逃げて帰るというのに、イタメシ食べようなんて、、」
「あはは、、何でもないよ。たまにはお付き合いも大事。ミミちゃんにはお世話になりっぱなしだし、今日はお礼の意味だよ」
「まあ、いいけどさ」

 撮影の帰りにミミちゃんを誘ったのは、例のファッションの撮影の件でちょっと困っていたからだ。ファッションライターの仕事もしている彼女にファッション撮影の全般的なことを教わるのが目的だった。

「さすが有名店だよね、美味しい!すごい!こんなの経費で落ちるのかなあ??」
「大丈夫だよ。半分は僕が自腹でいくからさ」
「そう!ありがとう!じゃあじゃんじゃん食べるぞ~」

 ワインのボトルを空にしてしまったころ、僕は本題を切り出した。

「あのさあ、ロケだけどさ、場所探すの大変じゃない?」
「ロケって、なんのロケ?」
「ファッション撮影のロケだよ」
「まあ、たいていカメラマンが探してくるけど、あたしが探すこともあるよ」
「へえ~、どんなとこで撮っているの?」
「・・・あ、、わかった。魚返さん、困っているんだ?」
「まあ、実はそうなんだよ。いろいろ教えてほしくって、、」
「そんなの、いけないんだ~。企業秘密をやすやすと教えるはずないでしょ!」
「う~、、そうだよね」
「うそだよ~、そんなの企業秘密でも何でもないよ。知らないカメラマンの方が珍しいよ」
「じゃあ、教えてくれる?」
「もちろんいいよ」

 僕はミミちゃんからとても貴重な情報を得た。まず、ロケ場所はミミちゃんの顔がきく青山の花屋さんに決めた。ロケの進行に関することもミミちゃんから聞けたけれど、残念ながら撮影に関するノウハウは何も聞けなかった。考えてみれば当然のことだ、ミミちゃんはカメラマンではないのだから。
 僕はロケは街角でのポートレートの変形だと位置づけた。それなら僕にも少し経験があったし、女の子を可愛く撮るカメラマンだという評判もあったから、乗り切れるだろうと腹をくくった。さて、問題はスタジオだった。スタジオのことを聞ける人を誰も知らないから、結局それもミミちゃんに聞くしかなかった。

「あのぉ~、スタジオなんだけど」
「えっ?スタジオって?まさかその仕事ってスタジオも入っているの?」
「う、うん、、」
「え~、、それで魚返さん、スタジオで仕事したことある?」
「ない」
「まったく?」
「一度もない」
「スタジオのアシスタントの経験とかは?」
「それもない」
「ゲ、、無謀だよ」
「僕もそう思う、、。あっ、一度だけスタジオへ行ったことがあるよ!友達の子供がファミレスのポスターかなんかのモデルに選ばれて、いっしょについて行ったことがあるよ」
「ちょ、ちょっと、、それってただの野次馬じゃん!意味ないよ」
「・・・」
「じゃあ、あたしの知っているスタジオをいくつか紹介するから、そっちへ電話なりしてファッション撮影の経験があるアシスタントを着けてもらえば、、」
「すげえ!それだ!ミミちゃん、頭いいねえ」

 僕はミミちゃんからの情報を参考してにさらに準備をすすめることにした。

つづく


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2010-06-11 : 未分類 : コメント : 0 :

『突然プロカメラマンになる方法』(23)ファッション・1

~魚返一真の自伝的小説~

 プロカメラマンとしてスタートを切って半年が過ぎたころ、いきなりファッションの仕事が来た。編集者が僕のどこを見てファッションも撮れると思ったのかはわからない。懇意のライターがファッションページも担当し始めて、成り行きで僕に仕事を振ったのかもしれない。いずれにしても、とんちんかんなファッションカメラマンの誕生となる。

 まず、女性誌の編集部へ行き、編集者と打ち合せをした。編集者は一流大学出の二十代後半の女性だった。

「今回のページはまたまたコンサバなんですよ」
「はあ、、」僕は一瞬、田舎のお婆ちゃんの言葉を思いだして、心の中でクスクス笑っていた。コンサバ=こん鯖(この鯖の意味)、、僕は何度聞いても『こん鯖』と聞こえてしまう。
「トップスを新しく買って気分一新しながら、ボトムは着回しで、、」
「はあ、、」僕はポッカーンとして聞いていた。
「それで、扉はロケで、あとはスタジオで撮って、ブツはそれが終ったら同じスタジオでやっちゃいましょう」
「なるほど、それが良いでしょう」と答えるしかなかった。
「扉の撮影場所ですが、、ロケハンの方、よろしくお願いします」

 僕は頭がおかしくなりそうだった。編集者の言ってることが何一つわからない。とにかく、何が何だかわからない。何がわからないかと言うと、ファッションにまったく興味がないから、ファッション用語など無知だった。カメラマンとしても、当然だがファッションのロケをやったことがない。さらに、スタジオ撮影などまったくやったことがない。さあ、大変。僕は眠れない日が続いた。
 僕は早く一流カメラマンになって、ファッションの仕事から逃れたいと本気で思った。

 まず最初に『こん鯖』の意味を知らなくてはどうしようもない。打ち合せの帰りに図書館へ寄った。ファッション用語集みたいなものを探したがなかなかない。小さな図書館にはやっと1冊だけ、ファッション用語をおさらいしている本があったが、『こん鯖』は載っていない。どうやら、ファッションの世界はどんどん変化するから、新しい言葉もどんどん出て来るのだろうと思った。このコンサバも最近の言葉だろうと想像した。ちなみに僕が手にしていた本は、昭和50年に出版されたニット関係の本だったので、まあ無理は無理なのだった。
 僕は勇気を出してライターのミミちゃんに電話で尋ねることにした。しかし、あからさまに尋ねて、僕がファッション知識ゼロだと担当編集者にわかったらめんどくさい。僕は慎重に話をすすめた。

「こんにちは、ミミちゃん、元気ですか?」
「先週原宿で会ったばっかりですけど、、」
「そうだった、ミミちゃんって、ファッションの仕事とかやってるよね?」
「まあ、少しだけ」
「最近のファッション雑誌も、何と言うか、うまく言えないけどね、、、あはは」
「魚返さん、何言ってるの?」
「つまり、『こん鯖』だか何だか知らないけど、、」
「コンサバがどうしたの?」
「ミミちゃん、そのコンサバなファッションに興味ある?」
「あたしが?あはは、、魚返さん、私と何度も会っているでしょう?あたしがコンサバなわけないじゃん!」
「僕にはコンサバが『こん鯖』ってお婆ちゃんが言ってるように思えて、可笑しくてさあ、あはは・・・」
「もしかして、魚返さん、コンサバの意味知らないんでしょう?」
「何で、、、!!」
「だって、ついこの前、裏原宿の意味を知らなくて電話して来たじゃん!」
「ああ、そうだったか。実はその通りなんだよ、、、」
「あはは!あはは!それで、16ページも引き受けちゃったの!あははは、、、」
「笑い過ぎだよ、こっちは必死なんだから、傷つくなあ、、」
「はいはい、コンサバというのは『コンサバティブ』の略ですよォ」
「あっ、そうだった、思い出したよ。それってどういう意味だったけ?」
「ほら、知らないんだぁ。コンサバは保守的なファッションなの。お嬢様系なのよ」
「あっはははは、、そうかコンサバはお嬢様系かあ。ありがとう!ところで、僕がコンサバを知らなかったこと誰にも言わないでよ」
「言ったって、誰も信じないよ。そんなファッションカメラマンいるはずないもん」

 つづく、、、

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2010-03-29 : 未分類 : コメント : 0 :

『突然プロカメラマンになる方法』(22)ポートレート・・・6(アイドル)

~魚返一真の自伝的小説~
 
 アイドルの撮影はポートレートカメラマン必須と言って良い。好むと好まざるにかぎらず、アイドルを撮影する機会が頻繁にやってくる。アイドルと言ってもまったくの新人から、売れっ子までさまざま。当時の僕は、アイドル音痴も甚だしく、振り返るとちょっと恥ずかしい。
 出版社から撮影依頼が来た。売れっ子アイドルらしい。一度に二つの雑誌のグラビアを撮ってしまいたいというのだ。こういうケースは超売れっ子なら時々ある。僕の場合二度ほどあって、もう一人はアイドルではなく、浜ちゃんだった。
 担当編集者との打ち合せで、撮影を依頼されたタレントの名前を聞いても全くわからなかった。写真を見せられても見た事もないタレントだった。ドラマなどで活躍しているらしいが、突っ込んでいろいろ尋ねるのは変だから、ハイハイと適当に返事をしてしまい、あっと言う間に打ち合せが終る。
「さすが魚返さんは撮影も打ち合せも早い!」と編集者に褒められた。

 当日。撮影はドラマの収録の合間に行うことになり、生田のスタジオへ。今回は二種類の撮影をしなくてはならないから、アシスタントを連れて行った。と言っても、映子さんだった。(映子=僕の作品のモデルになってくれた奥様)僕は車で生田に行く途中、映子さんを拾った。映子さんはアシスタントをやったことがない。でも大丈夫。たぶん。

「こんにちは、、急に悪いね」
「いえいえ、こちらこそ。でも私で大丈夫なの?」 
「もちろん大丈夫。それよりお家は?」
「カレー作って来たから家族は適当にやるはずよ。でも、機材の組み立てとかまったくできないけど・・・」
「僕が二人分、いや三人分働くから、映子さんはそばで適当に手伝ってくれればいいよ」
 
 僕が映子さんに手伝いを頼んだ訳は二つ。服装がカッコいい!そして、テキパキ動ける。この二つ。アシスタントは、こういう人が頼りになる。何故なら、すぐに場に溶け込んでコツを憶えるからだ。

「はい、これ見といて、、」と言って僕は運転しながら、今日撮影するタレントの資料を映子さんに渡した。

「わ~、あいちゃんだ!」
「あいちゃんて子、やっぱり売れているんだね」
「魚返さん、この子を知らないで良く仕事できるなあ?」
「そうか、、そんなに有名なんだ」
「とにかく、僕がこの子を知らないことを誰にも言わないようにね。もっとも、僕が知らないって言っても誰も信じないと思うけど、、」
「あはは、私もそう思うワ」

 山道をぐるりと回ると大きな建物が見えて来た。駐車場に車を停めて、カートに機材を積んで建物の中へ入って行った。
 二つの雑誌編集者の二人と二種類の撮影の打ち合せを済ませ、マネージャーと名刺交換。最後にスタイリストと衣装選び。

「あの、今日用意した服は全部で10着ぐらいあります。どれとどれを着てもらいましょうか?」
「そうだね、、、」としばらく考える振りをする。
「映子さん、どう思う?」と映子に聞くと、ただキョトンとしているだけだった。
「あいちゃんは、これとこれがお気に入りらしいですが、、」とスタイリストが言った。
「ああ、そう、、僕もその二つがいいと思う。最初がワンピースで、次はミニスカで行きましょう」

 いざ撮影。一本目をガンガン撮って、三分で終了。その後、衣装とヘアメイクで三十分インターバル。その間に撮影場所と明かりを変更。すでに映子さんはプロのアシスタント顔負けの動き。準備が出来たら、また二本目をガンガン撮って撮影終了。僕と映子さんは、あいちゃんに「お疲れさま」と軽く言って、あとはみんなに挨拶して、さっさとかたずけてをして、生田をバイバイ。

「映子さん、お疲れさまでした。お陰で本当に助かった」
「さすがに、あいちゃんは仕事が出来ますね」
「うん、売れている子は、才能もあるから仕事は楽かもね」
「魚返さん、あいちゃんを知らないなんてね、、」
「まったくわかんない。撮影していても、知らない子撮ってる感じだった」
 
 車が信号で止まった時、、
「ほら、あの等身大の女の子の看板!」と映子さんが指差して言った。
「ほんとだ、さっきの子だね」
 郵便局(?)の前に立っている等身大の看板は、まさしくさっき撮ったあいちゃんだった。


□この章の「あいちゃん」は加藤あいさんです。その節はありがとうございました。
□時代が前後することもあります。今後も僕の経験を書いていきます。皆さんが楽しんで頂けると嬉しいです。参考になると嬉しいです。(なるはずない?)でも拍手をお願いします。
2010-03-27 : 未分類 : コメント : 0 :

『突然プロカメラマンになる方法』(21)ポートレート・・・5(正直者は得をする)

~魚返一真の自伝的小説~

 銀座にあるホテルのスイートルームの前まで行くと、三人の女性が僕を待っていた。一人はキャリアウーマン風で彼女が担当編集者。真っ赤なフレームのメガネを掛けたグラマーな女性が呼び屋の担当者。ちょっと地味だが賢そうに茶のスーツを着こなした女性が通訳。カメラバッグ一たったひとつだけ背負って現われた僕を見て、一応に一瞬戸惑った様子だった。ともあれ恐る恐る名刺交換。フイをつかれたのか、三人が同時に僕に名刺を差し出した。(ちなみに、僕は通訳をスカウトしたいと密かに思っていた)

「お・が・え・り・さんですよね、、」と編集者。
「初めまして、魚返です。よろしく!」
「あのぉ、アシスタントの方は?」
「今日はアシスタントは邪魔なので、僕ひとりだけです」
「・・・???」
「大丈夫ですって、この魚返におまかせくださいな。どんと行きましょう!」

 と僕は完全に植木等のノリである。そんな僕を見て三人が完全に引いているのがわかった。でも、僕はそのノリを崩さなかった。そうでないと、今日の大物とはまともに対峙できないからだ。僕はこの世界に入って(営業を初めてから)ずっとバイブルにしている映画がある。大事な出陣の前にはこれを観る。『日本一のホラ吹き男』だ。もちろん、今日も観て来た。

「で、タレントさんはもういらしていますか?」
「いいえ、あと二十分ほどでいらっしゃると思います」と呼び屋。
「タレントさんのあの方、、、」ど忘れ、、、
「はい、W・Sさんですね」と編集者。
「彼はどんな方ですか?」
「とてもフランクな方です」と呼び屋。
「それは良かった!」

 と言いながら<ちっとも良かねえ>と内心思う。外人はみんな、フランクな方ですよ、と紹介されるが、そこがくせ者。フランクすぎて意図と違う写真になったり、フランクそうなのは体型のイメージだけだったりする。それに、仕事でいい加減疲れているから、女性誌相手なんぞに力を入れて対応してくれないこともある。

 僕は2台のコンタックスにRVPを詰めて、一台にはクリップオンストロボを付けた。
 呼び屋の携帯が鳴り「ホテルにお着きになりました、、」とちょっと興奮気味に言う。数分後、W・Sはヘアメイク、スタイリスト、それぞれのアシスタント、マネージャーの五人を引き連れて僕たちの待つスイートルームに入ってきた。

"Nice to meet you"と皆に言って、最後に僕にも"Nice to meet you"と言った。W・Sは想像以上に明るい人で頭の回転もとても早い。つまり、賢い系フランクだ。スタイル抜群。眼は輝いて眩しいぐらいだ。差し出された手に握手した瞬間。僕の中の植木等は完全に消滅してしまった。W・Sのあまりの魅力に圧倒されてしまったのだった。

 そもそも僕はW・Sの仕事を全く知らなかった。彼の出演している映画は一本も観た事がなく、全米NO.1になった彼の音楽も聞いたことがなかった。編集者が僕と打ち合せしなかったのは、W・Sを知らない人間など地球に存在するはずない、ましてや業界で仕事しているカメラマンなら、ということだったのだろう。

 さあ大変。僕はただのモジモジしている良くある日本人、つまり僕自身に戻ってしまったのだった。心配なのは、僕より編集者の方だったろう。いったいどんな写真を撮るの?みたいな顔している。W・Sが切り出した。もちろん、流暢な英語だった。高校時代の英語のリーダーの先生のような、カタカナ英語しか聞き取れない僕には無理だった。キョトンとしていると、すぐに通訳がやって来て。僕に言った。

「W・Sさんは、”私はどのようにしたら良いでしょう、何でもあなたの撮りたい写真にご協力いたします”とおっしゃっています」と英語なまりの日本語で言った。
 僕は開き直った。W・Sがこんなに協力的なら、思いきって自分の今撮りたいことを伝えようと。。。

「W・Sさんに伝えてください」と僕はW・Sを背に通訳の方向に向いて行った。
「はい、通訳します」
「では、、、”僕はあなたの事を知りません。本当に知らないんです。ですから、僕にもあなたの魅力が分かるような写真を撮りたいのです。例えば、バスルームやベッドルームでのいつものあなたを撮らせてください”と伝えてくれますか?」

 通訳は僕を指差したり、奥のベッドルームを指差したりしながら、僕の言ったことをW・Sに通訳した。
 するとW・Sは僕の方を見て、"O.K,Let's go!"と言った。僕は身振りと手振りでそれから10分の撮影に挑んだ。バスルームの鏡の前で撮ったあと、ベッドルームへ。僕はベッドに横になったW・Sをまたいだり(マタギ撮影)、添い寝みたいにしてお互いにウィンクしあったりして撮った。あっと言う間に撮影は終った。撮ったフィルムは4本。撮影中、W・Sは僕がほとんど素人カメラマンだということに気づいていたと思う。だから、彼のプロ意識は<こいつにカッコいい写真を撮らせるためには、オレが引っ張んなきゃだめだ、、>みたいな方向へ強く出ていたと思う。まったくすごヤツだ。
 正直者の僕はこうして、無事に大役を果たせたというわけだ。

 しかし、いつも、<正直者は得をする撮影法>が通じるとはかぎらない。ある日、僕に有名アイドルの撮影依頼が来た。そのアイドルは、日本ではW・Sより知名度があったにもかかわらず、僕は全く知らなかった。今度はちゃんと編集部で打ち合せをしたし、資料も持ち帰ったのに、それでも僕は全く知らなかったのだ。
(つづく)


・この章に出てきた『W・Sさん』とは、Will Smithさんのことです。その節は大変お世話になりました。
・Will Smithさんの撮影で使ったマタギ撮影を後の首相の撮影で使った時、周囲のあきれ顔をよそに、後の首相は「おお、いいぞ、やろうやろう」と言って撮影させてくれた。結局、でき上がったその写真はヤクザみたいだということで却下された。最近町で見る谷垣さんの写真を横にした感じ。
・前回の章で紹介した、ケイ・ディー・ラング氏は先のバンクーバー五輪の開会式で歌を披露していました。

□時代が前後することもあります。今後も僕の経験を書いていきます。皆さんが楽しんで頂けると嬉しいです。参考になると嬉しいです。(なるはずない?)でも拍手をお願いします。

 

 

2010-03-21 : 未分類 : コメント : 0 :

謹賀新年

旧年中はお世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いします。
皆さんのご多幸をお祈りいたします。

今年も僕のやりたいことをこのブログに発表します。
もっと僕らしい作品を撮ることを心掛けます。
先日、僕の中でプツンと音がしたような感じがして、新作への意欲がわいて来ています。
ご声援、よろしくお願いします。

2010.元旦
2010-01-01 : 未分類 : コメント : 2 :

Gallery・・・

作品を随時Galleryにアップしています。
時々ごらんください。

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2009-12-05 : 未分類 : コメント : 0 :
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プロフィール

ogaeri

Author:ogaeri
1992年より一般の女性をモデルに作品を撮り始める。2008年「鉄道と彼女」を発表した。
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