『写真集食堂めぐたま、にて』


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写真集食堂めぐたま/僕の写真集「鉄道と彼女」と"MOSO"

 
高森線(現在の南阿蘇鉄道)1970.10撮影。

2016.4.20 写真集食堂めぐたまにて

 昨日、恵比寿(渋谷区東)にある飯沢さんの「写真集食堂めぐたま」に行った。フランスで出版した"MOSO"と「鉄道と彼女」があった。"MOSO"は白いカバーに手書きの文字でKazuma Ogaeri MOSOと書いてあった。それはさておき、「鉄道と彼女」は良い作品集だと感じた。世界中の写真集の中にあっても決して埋没することのない個性がある。売れないとわかっていながら自由に作らせてくれたぶんか社の角谷さんに感謝気持ちでいっぱいです。ページをめくるうちに、その本に収録した高森線(現在の南阿蘇鉄道)の写真を見て絶句した。1970年に撮ったものだ。阿蘇の地震でこの白川鉄橋はどうなっているのだろうか。故郷ともどもとても心配。故郷は大分の山間部で山に登れば阿蘇がすぐ近くに見える所だ。


□なぜ”MOSO”に白いカバーがしてあるかというと、出版社のダミアンが几帳面な人で黒い表紙にキズがつかないようにと、一冊ずつ丁寧にカバーしたのだが、そのカバーの紙が立派すぎて捨てられないのである。たぶん、飯沢さんはそのカバーにタイトルと僕の名前を書いたのであろうと想像している。

□めぐたまの料理は素晴らしいです。毎日でも食べたい。
2016-04-21 : 記憶 : コメント : 0 :

『桜色の丘』・・・

『桜色の丘』・・・作品はGalleryへ移動します。。

2004.3.29 model*詠子(写真集『妄想サロン』より)

            †

 あの桜の季節に詠子を撮った。桜色の丘にたどり着いた頃には陽は少し傾いて満開の桜は、僕の古い記憶のせいではなく、たしかにセピア色をしていた。あの日から十年が経ってしまった。

 『桜色の丘』を撮影した当時、詠子はある意味で完成した女であった。完成した女の意味は、その時までに身についた彼女の魅力を変えることなく携えて歳を重ねていく段階にあるということ。少女のように突然脱皮してちょっと前の自分を遠い過去の自分にしてしまうようなことはすでになく、詠子は一カ所にとどまって静かに光りを発する女になっていた。

 詠子は角を持ち続ける女だ。それは人を刺す棘のようなものではなく自分を貫くための角である。その一貫した態度は、あくまでもスタイルを変えない古風な日本女性の美意識と同じようなものかもしれない。つまり、角のある詠子はとてもチャーミングなのである。

 再び、詠子を撮ってみたいと思う。彼女が許すならフルヌードが良いと考えている。

  
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□詠子さんのフルヌード撮影に賛成の方は拍手をお願いします。
□この作品は桜が散り始める頃には削除されます。
Twitter(フォローをどうぞ)⇒⇒








2013-03-23 : 記憶 : コメント : 0 :

『さくら』・・・1999年春、満開の日に


1999.4 model*YOKO


 荻窪の地下通路でスカウトした女の子だった。
「タレントさんですか?」
「いいえ」
「良かった、モデルになってください」
「私で良ければ、でも、脱げないですよ」

            ⁂

 誰かが撮った桜の写真を見て特別に感動することはない。それは自分が実際に見た感動の方が常に勝っているからだ。見事な桜である必要はなく、自分と同時に春を生きた同胞としての桜を愛しているのだ。桜とはそういったものだと考えている。つまり、どんなに素晴らしい桜を撮って誰かに見せたとしても、どうということはないと思う。前田真三が撮った吉野の桜は素晴らしいことはわかっている。しかし、人は桜だけは自分で撮りたいと思うのだろう。



 桜が満開の日に撮ったことが何度かある。その日の二人(僕とモデル)は今しかないというような、ある種の頂点の美意識の中で自分を見失っている。しかも僕の場合は、女の子の足や胸を撮りたいがために、たいてい桜はボケている。

            ⁂



□上記のような僕でありますが、今年は桜に向かいます。
□3/24(日)の写真塾では桜とモデルを撮ります。よろしければお運びください。見学コース(1000円)もあります。


2013-03-20 : 記憶 : コメント : 0 :

『ロリータ・2』・・・復刻その2(タングステンフィルム編)



2001.4.21 model*keiko
           
           ⌘

 先日紹介した同名作品はモノクロだが同時にカラーも撮っていた。この青くかぶった色調こそがこの作品オリジナルである。この色調がとても新鮮に見える。青い理由は白昼の屋外でタングステンフィルムを使っているからだ。以前は多くのカメラマンがタングステンフィルムを使って作品撮りをしていた。懐かしくなってタングステンフィルムで新作を撮りたいと思ったが、肝心のフィルムが製造中止。さみしい。

           ⌘

□タングステン光の色温度は3200Kでデイライト(白昼)は7000K。タングステンフィルムはタングステン光の下で撮影して標準の色に撮れるフィルムだ。この作品の場合のようにデイライトで撮ると青くなる。逆にタングステン光の下でデイライトフィルムを使って撮影すればアンバー系の色になる。

□Lomoからタングステンフィルムが出ていたようだがもう製造中止?どなたか情報をください。もしまだ買えるなら是非とも塾生の直樹さんに使って欲しいのだが・・・




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2013-02-27 : 記憶 : コメント : 1 :

『ロリータ・2』・・・復刻

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2001.421*keiko

爽やかな初夏の午後だった。
紫だいこんの花が咲き乱れる遊歩道の脇のくぼみ。

            †

 12年前、僕はkeikoと出会った。Keikoは僕がどんな写真を撮りたいのか理解していた。僕が何を求めているのか知っていた。二度目の撮影が終わったあとkeikoは消えた。もし三度目の撮影があったとしたら、その写真がどんなものだったかも観えていたに違いない。

            †
           †††
            †


□『ロリータ・2』は写真集『妄想カメラ』(2001年青林堂刊)に収録したものです。
□ロリータ・3を撮らせてくれるモデルを探しています⇒こちら



2013-02-20 : 記憶 : コメント : 0 :

『春近し』・・・記憶




2004.2.28 model*杏奈

            ⁂

 杏奈の胸はとても豊かだ。そして男を安心させる穏やかさも合わせ持っている。もし、真剣にたのんだら何でも受入れてくれるかもしれない、と期待させる素直で従順な女の子だ。

「どこまで見せられるの?乳首はだめだったっけ?下着は見えてもいい?」と一方的に言うと、
「大丈夫だと思います」と杏奈は静かに答えた。

 僕は杏奈が乳房を出しパンティーを脱ぐ様子を撮りたいと思っていた。 
 低木に囲まれた一角にクロスを敷き杏奈を座らせた。

「僕がカメラを構えたら胸を見せて」と言うと、杏奈はあたりを見回したあとそっと胸元を開き乳房を露出した。

「パンティーを脱いでくれる?」と小声で言うと、杏奈はうなずきゆっくりとパンティーを膝下まで下げた。

「ヘアが見えているよ」と言うと、再び杏奈は小さくうなずいた。


            ⁂


□もう2月ですね。もう春はそこまでやってきています。この作品はうららかな2月に撮影し『妄想サロン』に収録したものです。



2013-02-05 : 記憶 : コメント : 2 :

『サイケ』・・・記憶



2003.12.12 model*ジャニス


             †

 ジャニスのアパートのドアを叩いた。
「いらっしゃい」
 ジャニスは笑顔で迎えてくれた。ジャニスは素敵な女だ。細い身体に縦じまのベルボトムのパンツ、そしてカーリーロングのヘアーなど全部がかっこいい。ジャニスの部屋は意図的に暗くしてあり、小物や楽器が一見無造作にディスプレイされていてちょっとサイケ調である。僕が撮影の説明を始めると、ジャニスはあぐらをかいて座りタバコに火を付けた。

「ある著名な写真家がパティー・スミスっていう歌手のアルバムジャケットを撮っていて、それで君もそんな感じで撮りたいと・・・」
「じゃあ、パティーをかけるね」
 と言ってCDを入れ替えるとパティー・スミスの曲が流れ始めた。僕は予想外の出来事に驚きを通り越して唖然とした。

「服を脱いでくれないかな」
「じゃあ背中を撮って」
「確か、その写真家とパティー・スミスは恋人同士だったんだよ。だから、僕たちもいずれやばい関係になるかも知れないよ」

             †


 この作品は僕の写真集『妄想サロン』の収録作。今回は別カットをアップした。この作品を引っぱり出した理由を説明しよう。文章中にある著名な写真家とは、ロバート・メイプルソープのことで、この写真は照明をメイプルソープ風にしている。
 写真塾のメンバーにヌードを撮っている人がいる。その方に僕がお薦めしたのがメイプルソープだった。そこで、この作品を思い出したというわけ。もちろん、その方にこれをご覧に入れる意味もある。




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2013-02-01 : 記憶 : コメント : 0 :

『神無月(十月)の電車』


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2002.10.11 model*千春

         ⌘

娘を乗せて電車は走る
十月の電車は娘の匂いを運んでいく

娘の純潔、さもなければ生娘の喪失
*盲腸線の旅はまたたくまに終わる

娘を乗せて電車は走る
神無月の電車は墓地へ行く人たちを運んでいく

娘を乗せて電車は走る
娘の十月はまたたく間に終わる



         ⌘

*行き止まり線

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         ⌘



□今のあなたの姿を写真に残したいのです。モデルになってもらえませんか。モデル募集→→



2013-01-31 : 記憶 : コメント : 0 :

『今思えば・・・』



2002.10.11 model*千春

          ⌘

今思えば・・・
あれが大切な瞬間だったのです
薄い肌をすかして見せる清い血と
とろ〜りしたたる聖液の境目の
あるやなしやを考える悦びのなかで

今思えば・・・
あれが素敵な瞬間だったのです
ときめきにつづく無呼吸と
ぬる〜りまとわりつく乙女の匂いの
いざないの意味を考える悦びのなかで

乳房をさらす直前の君を撮って
乳房をさらした瞬間の君を無心に撮った
今思えば・・・幸福だった


          ⌘





 良い写真を撮ろうとするより、自分もその写真の中に確かに存在したという痕跡を残す方がより大切である。その痕跡はやがて深い思い出となる。やっかいなのは、そんな思い出の大切さに気づくのはずっとずっと時間が経過したあとだということだ。



          ⌘
         ⌘ ⌘
          ⌘


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<作品について>
 是政橋の下は僕の大好きな場所でここには僕の大切な思い出がある。ここへ来るたびにここで撮影した千春の美しい乳房がリアルに甦る。この2週間ほど前に中古カメラ店の店頭に並んだ黒いライカのなかで一番安いボディーを買った。そのとき店員がライカにおいては素人同然の僕に薦めたのは割と新しい型の黒いエルマーだ50mmだった。このレンズの最短撮影距離は70センチ。以後、僕は最短撮影距離1メートルのそうそうたる名レンズを使うことができないでいる。この30センチが僕にとっての生命線なのである。千春を撮ったこの日がライカデビューであった。したがって、現在でも僕はまだライカ歴たった11年にすぎない。Lica M4-P Elmer50mm Tri-X




2013-01-29 : 記憶 : コメント : 0 :

『ローカル線の憂鬱』



2008.3.4.model*Yoshimi mamiya7/55mm?

         ☆

 2008年3月、よしみを連れて北へ向かった。北と言ってもそれほど遠くない。東京から車で一時間ぐらい走っただろうか。それが出不精の僕の行ける北限だった。見知らぬ風景に身を置くだけで、なんて遠くへ来てしまったのだろう、という心細さと一種の後悔があった。

 切り通しは、少年時代にSLを待ち伏せした勾配のある景色とまったく同じだった。思い出が吹き出して来た。しかし、決して楽しいことばかりではない。むしろ憂鬱な気分の方が多く蘇ってきた。なぜなら、当時の僕はSLを追いかけることで重苦しい青春から逃れていたに過ぎないからだ。

 女の尻が物悲しく映っている。それは、少年時代に受けた屈折したエロスの啓示が撮影の瞬間に蘇るからではないだろうか。そして、ネガカラーはその懐かしいエロスをちゃんと表現している。

         ☆

 もう一度カラーについて同じことを書くことにする。「僕にとってカラー写真とは、昔ながらの天然色のことだ。写真とはどこかノスタルジックなものだ。撮った写真は、その瞬間は『今』であっても次第にノスタルジックになるべきである。」



□この作品は個展『鉄道と彼女と僕』で発表したものです。



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2012-03-11 : 記憶 : コメント : 0 :

『あの夏の匂い』・・・最終章

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2008.8.3大分県玖珠町にて
          ☆

<故郷の朝>

たとえば僕がどんなに都市に馴染んだとしても馴染み過ぎた実感はなく

都市の夜のアンニュイについて考えているうちに夜が明けてしまうようなロマンなどなく

誘惑に負け夜を謳歌しても傷を負うばかりで悟りはなく

結局、都市で出会った女を撮影することだけが唯一の喜びと言い切るよりない

あらゆることは、故郷で朝を迎えた時に虚しいことだとわかる


          ☆

□写真塾について、、
今年の春はとても遅いようです。3/11(日)に開催予定の写真塾は寒波のため中止の可能性があります。また、3/17(土)に開催予定の写真塾も日程変更(順延など)の可能性があります。ご注意ください。



2012-03-09 : 記憶 : コメント : 0 :

『あの夏の匂い』・・・第八章

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2008.9多摩川にて model*kano
 女は真っ白い太腿を露にしてくれた。

           ☆

 女はFのルートでやってきた。明るく健康的で何より白い肌が女の魅力を強くアピールしていた。足を上げた瞬間の美しさは誰もこの女にはかなわない。クールな目元は、自分というものを主張する力に満ちていた。

           ☆

 女が持っている輪は、タブレットキャリアと言って、前項のanjiが右手に持っているメタルがこのバックに入っている。


最終章へ


2012-03-08 : 記憶 : コメント : 0 :

『あの夏の匂い』・・・第七章

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2008.9多摩川にて model*anji
 女は目を閉じると真っすぐに立っていた。それが女の内面のごとくに。

          ☆

 女はFのルートでやってきた。口調や立ち姿がきちんと育てられたことを伺わせている。持たせたメタルは、昔鉄道員が使っていたもので、輪のついた革のバッグに納められていた。名前をタブレットと呼ぶ。

          ☆

 女の真面目さは、男に猥談を控えさせてしまう。女の真面目さは、男との会話の裏側に流れている。



第八章へ


□F=Y.Fujimura



2012-03-07 : 記憶 : コメント : 0 :

『I shall be released~ノブを悼む』

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1976年・三宅島にて*左から、K-Ogaeri**ノブ/N-Saito*T-Okada*N-Hosaka
Photo by Kinya Saito.

          ☆

 僕は人の死について書くことはなかった。父親が顔に深く傷を負って突然死んだ時も、多くの人が死んだ3.11についても何一つ書いていない。でも今僕は人の死について書く。

 ノブが他界したのは2012年2月22日。2が五つもある折り目正しい日だった。彼の名前は斉藤伸晃。みんなはノブと呼んでいた。ノブはずっと昔バンドをやっていた時のドラマーで、その後は僕の曲の詩を書いてくれた時期もあった。仲の良い友人というより、長い間生き様を横目で見続けたいわば互いの生証人だった。

 初めてノブと会ったのは、1975年の7月。場所は銀座のビルの屋上に毎年夏になると現れるビアガーデンだった。その夜、僕はビアガーデンの陳腐なステージでギターを弾いていた。シルバーウイング、ジャンバラヤ、テネシーワルツなど純然たるカントリー・ミュージックだった。(詳細は省く)
 ビアガーデンで会ったノブは僕と同じ年齢だったが、僕よりはるかに大人だった。カッコ着けて大人ぶっていただけだったのかもしれない。しかし、僕にはかなり大人に見えたことは確かだ。僕は田舎者で子供っぽくて、ノブや周囲のやつらから「おバカで田舎者でガキ」というレッテルを貼られていた。そのレッテルを考えたのも率先して貼ったのもノブだった。

 おバカでガキの僕は、誰よりも大人になる為に懸命に走っていたノブの真後ろからノブを見ていた。いつでも僕は難しい問題を全部ノブにまかせてのんびりとギターを弾いていた。つまり、ノブのお陰で僕はずっと子供のままでいられた。

 すっかり大人になったノブは突然死んだ。ノブの死によって、とうとう僕が大人になる順番が来てしまいそうだった。そんな不安を振り払うように、思いのほか軽い棺を抱えながら「マジで死んだのかよ。ドラムスティックはどうした。まったくバカじゃねぇ?」と心の中でつぶやきながら、僕はずっと子供でいることを宣言した。それは、常に僕より大人でいたかったノブへのささやかな追悼のつもりだ。

          ☆

 DJにお願いします。ノブが好きだった『I shall be released』をノブにプレゼントしてください。ディランではなく、ザ・バンドの演奏のやつでお願いします。もちろん清志郎のではありません。ノブはドラマーだから、同じザ・バンドのドラマー、レボン・ヘルムが歌っている『The weight』もいいけど、今回は、『I shall be released』をリクエストします。あ、そうだ。ノブは、イーグルスの『Lyin eyes/いつわりの瞳』をドン・ヘンリーよろしくドラムを叩きながら歌ったこともあった。やっぱり、今日のところは『I shall be released』。

 ラジオで『I shall be released』が掛かったらそれは僕がノブにプレゼントしたリクエストです。

          ☆

「ノブがどんな男だったか?」
 そうだなあ、情が厚くて繊細で夢多き珈琲党かな。あと、頼れる兄ちゃんタイプで女にモテた。
「最後にノブに言うとしたら?」
 シブイ女をナンパして青山のモンペシェで飲もうぜ。

          ☆
         ☆☆☆
          ☆




 

□ノブ=斉藤伸晃(Ds)。享年56才。ご冥福をお祈りします。
□YouTube⇒『I shall be released』
□ノブの告別式は神道でした。拍手で送ってあげてください。拍手をクリックしてください。






2012-03-05 : 記憶 : コメント : 0 :

『あの夏の匂い』・・・第六章

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2008.7多摩川にて model*カメ子
 女は男に自分の幸せを願わせる才能を持っている。

          ☆

 女と出会ったのは吉祥寺だった。そろそろ歩く女だった。女は都会人ではないと、むかし田舎者でこのところ都会人に成り済ましている僕にはわかった。女はどこか郷愁をそそるところがあった。直感というか、それは土地の匂いのような曖昧な匂いなのだった。


 女はピュアでありながら、男の好きな薄幸のパフュームを振りまいている。昔の青春映画に出て来る健気な若い女のように。

          ☆

第七章へ


□カメ子=カメラが好きな子だから。
□井上さんから、、LPL7700プロを無償で譲るそうです。(送料はご負担のこと)連絡は魚返まで。。



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2012-03-04 : 記憶 : コメント : 0 :

『あの夏の匂い』・・・第五章

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2008.7吉祥寺にて
 映画を観た。ひいきの女優が出ているから。

          ☆

「あの、モデルになってください」
「わ・た・し?」
「ええ、あなたです。真面目ですよ」
「そうかしら」
「ええ、もちろんです」
「でも、、、」
 女は出直してくださらない?という表情。僕は何となく引き際への糸口が見えないでいた。

「あっ!君、タレント?」
「う~、、」
「女優?そうだ女優だ!」
 僕はこの女が出ているクラシックバラエティードラマ(僕の印象)を何度か観たことがある。その日も観た。

 
第六章へ


□『あの夏の匂い』は2008年の夏に撮った写真。

2012-03-04 : 記憶 : コメント : 0 :

『あの夏の匂い』・・・第四章

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2008夏・府中にて model*asuna
 あなたの眼について

          ☆

 女と会ったのはブロードウェイ。僕が声をかけるタイプではない。女は少女に所属していながらも、女として心に迷いを抱きながら街を彷徨っていた。勘ぐり屋の僕にはそう見えた。中野にはあらゆる女を囲い込む幅があるし、隙間だらけの心を持て余す男もやってくる。もちろんその男は僕だ。男と女を引き合わせるのがブロードウェイである。

「モデルやらない?」
「やります」
「ほんとに?」
「ほんとに」

 彼女のカラーコンタクトが何色だったかどうしても思い出せない。僕は細工をする女が嫌いだ。だけどこの女には惹かれていた。悪気がないからだ。女はすべてをオシャレで片付けてしまうのだろうけど、男はそれほど器用ではない。

 僕は今の明日菜に会ってみたいと思う。

          ☆


第五章へ




2012-03-03 : 記憶 : コメント : 0 :

『あの夏の匂い』・・・第三章

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2008.7 八王子にて model*yuki
 雑木林の中でさよならを。

           ☆

 誰もいない僕の個展に一人で来て写真をひとまわり見て、すう~っと消え去ろうとする女をエレベーター前で呼び止めた。僕は完璧な出会いだと思った。それは、二人きりのバスの中で起きるような、絶対的な出会いに思えた。つまり、僕がバスの運転手で、車内にはたった一人の女。女は何かの理由で乗車賃がない。僕たちは否応なく会話を進める必要がある。

 自分を自分だと言うこと。自分がしたいことを明確に伝えること。僕はそのことがずっと怖い。女はそれをきっぱり言える。女というものがそういう生き物なのか、この女だけに備わった素養なのか。   
 仏蘭西へきたしと思えば、躊躇する様子もなくあまりにも遠い仏蘭西へ旅立つ。僕なら、故郷へ三回ほど返って、三回目で両親に百回さよならを言ってから旅立つほどの重大なことなのに。しかも、両親は死んでいる。

           ☆

第四章へ




2012-03-03 : 記憶 : コメント : 0 :

『あの夏の匂い』・・・第二章

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2008.7 府中にて model*よしみ
 草のツルに身をまかせなさい。

           ☆

 僕の個展に二人の男を引き連れてやって来た女。女をスカウトしようと声をかけると、感じの悪い一方の男が「何かヤバそうだからやめときなよ」と言った。女は「私のことだから・・・」と男を制した。僕は、このお礼は思い切り破廉恥な作品を撮ってお返ししよう、と考えた。黙ってその様子を見ていたもう一人の男も感じ悪かったことを付け加えておく。

 女よ。その眼は誰かにとっておけ。そのかぐわしき肉体は僕たちのために露にしなさい。清純の中の不純、それとも不純の中の清純。この女には、女を魅力的に見せるバランスが備わっている

 
           ☆

第三章へ







2012-03-02 : 記憶 : コメント : 0 :

『あの夏の匂い』・・・第一章

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2008.7吉祥寺駅二番ホームより三番ホームを撮る

          ☆

 天然色はノスタルジー、モノクロは感情。

          ☆

 人はある夏を特別に記憶することがある。僕の場合、ある夏とは2008年の夏のことだ。どこで撮ってもそこにはあの夏があった。もうあの夏から逃げるなんて不可能な気がしていた。その証拠に僕は学生時代以後一度も飲んだことのないスプライトを飲んだ。飲みながら僕は女の子を虐めてみたいと考えていた。もちろん、それは夏のせいだった。

 ほとんどの人は面と向かって女の子を虐待することはしない。だけど、虫たちが執拗に女の子の肌を刺し、掻きむしったその白い肌の奥がかすかに内出血するのを見て何らかの刺激を受ける。「あ、刺されてしまったの。大変!」などと言うがその同情の奥で真逆な気分に襲われることもある。

 僕は八王子で女を撮っても府中で女を撮っても、多摩川で浴衣の女といても、同じ気分だった。フレンドリーな感情の向こう側に流れるものが疎ましかった。つまり、仲良くしたくてもどうにもできない自分がその夏にはあった。

 あの夏、女に襲いかかろうとする虫や植物はおそらく僕の分身だった。

          ☆

第二章へ

          ☆


■3/4(日)の写真塾は3/20(火・祝)に日程を変更しました。









2012-03-02 : 記憶 : コメント : 0 :

『詩集を読む君への讃歌』


2002.11.18撮影/model*雪絵

          ☆

 詩集を読む女の子を魅力的に感じたことはなかった。むしろ、その感じやすい洞察力で、僕が見ているものや僕が感じているものに異論を唱える姿勢を警戒する。そればかりか、僕の存在そのものに対する否定的見解を的確に表現するかもしれない。そんな女の子の存在を僕ははなっから拒否したであろう。少なくても五十才になるまでは・・・
 今の僕は、そんな女の子を素敵だと思う。
 例えば、山小屋で二人っきりで嵐をやり過ごしている時、蝋燭の火を灯して女の子にボードレールを読み聴かせてもらうのもいい。それは、僕の少女趣味の変化へと繋がっているかもしれない。
 

          ☆


□来週、久々に新作を撮る。モデルは華奈。



2012-02-25 : 記憶 : コメント : 0 :

古いポートレート


引き出しから古いフィルムが見つかった。自分のスタジオで撮った女性のポートレート。しかし、撮影されたフィルムは4×5サイズだ。撮影時期は、1997年ではなかったろうか。モデル名など詳細を調べてわかり次第アップする。何故僕が4×5でポートレートを撮っていたかというと、当時僕が関わっていたあるテレビ番組の中で笑福亭鶴瓶師匠が全国を行脚して家族写真を撮るというコーナーがあって、鶴瓶師匠がカメラマンで僕がアシスタントをやっていたのだ。当然僕も全国を旅した。使ったカメラは4×5。それで事務所に置いてあった4×5(タチハラ?)で女の子のポートレートを撮っていたというわけだ。こうやって観るとなかなかいい!以前、井上さんが4×5を撮りたいって言ってたけど、ちょっとやってみようかって気になるよね。
2010-10-12 : 記憶 : コメント : 0 :

ギャラリー・・・オープンしました

もう気づいている人もいると思いますが、僕のサイトにGalleryがオープンしました。僕の旧作はこちらで観られます。と言っても、もう1年も前から準備していたのに、まだ210カットしかありません。その上、フリッカーのIDを持っていないと156カットしか観られません。理由はコンテンツフィルターというものがあるからです。つまり、公序良俗みたな、、、それでも、僕のカットを観れるようになったことは大きな進歩です。是非ご覧下さい。なお、このサイトの登録カットを向こう一年で1000カットにするのが目標です。

Gallery→
2009-11-27 : 記憶 : コメント : 2 :

CONTAX・T3・・・「記憶・SHOKO」2005.1.7

CONTAX・T2を褒めたけれど、T3が劣っているわけではない。スピーディーだし、マニュアル的な撮影だってできてしまう。どっちを選ぶかは趣味の問題。しかし、どちらを選んでも問題なのは、いずれ近い将来修理ができなることだ。京セラさん、あんまりだぜ!
それにしてもSHOKOさん、何とお美しいことでしょう。
□T2はもう修理できないってさ、、あれま。



2009-02-23 : 記憶 : コメント : 2 :

記憶「みぞれの日に、、、」・・・2005.1.26

今年のテーマ「フルーツスカウト」。このモデルも是非出て欲しいひとりだ。未発表?もしかしたら個展で展示したかもしれない。カメラはプラウベル・マキナ。ニッコールだから、、好き嫌いはあるよね。



2009-02-16 : 記憶 : コメント : 0 :

初めての「リンゴ」・・・2005.11.10

□初代「リンゴ」の写真を見つけたのでアップします。これ僕の作品としては珍しくデジカメです。




□このところ多忙で塾はブログをさぼっていました。病気になったのでは?とご心配のメールも頂きました。ご安心ください。
2009-02-12 : 記憶 : コメント : 0 :

記憶「一人暮らし」・・・2003.1.25

この作品、撮った時、高熱を出していた。もうろうとした気分で必死にピントを合わせた。当時は、彼女の身体がただただ眩し過ぎる、それだけの作品だと考えていた。でも、待てよ、、これって撮れそうで撮れない傑作ではないか、と思うようになった。もし、このモデルがさらに大人の色気を備えているとしたら、、彼女の今を是非撮ってみたいと思う。もちろん裸を、、、。それにしても美しい!

「一人暮らし」2003.1.25/model*tomoka




2009-01-31 : 記憶 : コメント : 1 :

記憶「橋」・・・2000.7

この日のことはおぼろげな記憶しかない。理由を考えてみる。わからない。僕は何を撮りたかったのだろう。毎週土曜日に掲載していた日刊ゲンダイの連載「妄想写真館」のために撮ったのだろうか。しかし、この橋のことは印象深い。このモデルも印象深い。彼女とどこで知り合った?僕がスカウトした?こうして何が何だかわからなくなった時、作品となるのです。危険な考え?あはは、そう決めておけば楽だから、ついさっき僕はそう考えるようにした。

2000.7 model*広東もな
20000700hashi001.jpg

2008-11-19 : 記憶 : コメント : 0 :

記憶「洗車場」・・・1999.8.21

彼女とスカウトした時、彼女の胸が大きいことを知らなかった。しかし、最初の撮影でとても豊だとわかった。「ノーブラで来てください」「あ、、はい」結局彼女がモデルの作品のすべてが胸を強調する写真になってしまった。巨乳であること自体、すでに僕にとって作品なのだろう。ならば彼女がモデルの他の作品も引っ張り出してちょっと観てみたい気がして来る。

1999.8.21 model*MARIKO(リミット収録とは別カット)
19990821sensha00.jpg

2008-11-19 : 記憶 : コメント : 1 :

記憶「双子」・・・2001.11.11

双子が主役の朝ドラ。観ていたら以前、こんな写真を撮ったことを思い出した。
「双子」・・・2001.11.11
20011111futago.jpg

2008-11-14 : 記憶 : コメント : 0 :
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プロフィール

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Author:ogaeri
1992年より一般の女性をモデルに作品を撮り始める。2008年「鉄道と彼女」を発表した。
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