『エロスへの曳航』・・・1968年4月の思い出

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 僕はいつのまにか穴の虜になった。まるで股間にできたたちの悪い皮膚病のように四六時中その穴のことが気になって仕方がなかった。その穴とは、教室の床の木板にあった節が抜け落ちてできた指の爪ぐらいの大きさの穴だった。その穴の真下へは教室の外のコンクリートの基礎部分から床下へ入り、中腰の姿勢で右に左に折れると辿り着くことができた。

 穴から見た世界は、実際のその場所とはまったく違った。穴から見上げるという不自由さのせいからか、空間全体に悪の香が漂い魔界のようだった。いつも僕が過ごしている教室にはどうしても見えなかった。

 その穴は、教室の黒板を背にして左側にあって、ちょうど一番前の席の廊下側から二番目の机の真下にあった。そして、そこは女子バレー部のキャプテンの席だった。

               ﹆


□1968年4月、僕は中学へ進学したばかりで心の中にエロスが確実に育った時期でした。つづきを知りたい方は拍手をお願いします。





2013-10-02 : 『妄想少年ものがたり』 : コメント : 0 :

『切り取られた僕の顔』2011.10.25

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 遠足に来た子供たちがお弁当を食べていた。弁当が終わると記念写真を撮るのだろうか。数十分後ふたたびこの場所を通ると、やはりクラスごとに記念写真を撮っていた。その光景をみていたら、急にさみしくなった。
 僕も小学生の頃の集合写真を数枚持っている。しかし、いずれの写真も僕の顔が切り抜かれているのだった。子供たちの遠足が遠い想い出となった頃、今日の記念写真に写っている誰かの顔が切り抜かれているかも知れないことを僕は知っている。
 どうしてその写真に僕の顔がないか、それは言えない。
2011-11-01 : 『妄想少年ものがたり』 : コメント : 0 :

妄想少年ものがたり(13)13才の高原キャンプ

 中学一年の夏休みがやってきた。七月最後の登校日に配られた夏の予定表には八月の初めの2日間にキャンプと書かれてあった。しかし登山はしないらしい。そもそも田舎町の中学生にキャンプが必要なのかと思ったが、学年全員で高原へ行きキャンプで親睦をはかろうという趣旨では仕方ない。僕はキャンプに夏休みの2日間が奪われることを苦々しく思っていた。
 もう一つ僕がキャンプに対して煮え切らない原因があった。数週間前の土曜日に担任の岩城に「魚返、今夜はオレが学校の宿直じゃけんお前も学校に泊まれ、一緒に鍋を喰おう。親にはオレから言っておくけん」と言われた。僕は二つ返事で「僕は鍋が嫌いじゃき行かん」と答えたのだった。どうやら岩城は生徒を更正させる先生を気取っているようだった。僕は岩城と過ごす高原のキャンプに嫌な予感がしていたのだ。
 ともあれ僕たちは班ごとに六人ずつ分けられて、当日の夜の晩ご飯のメニューなどを決めた。そして予想どおりすべての班がカレーを作ることになった。キャンプの前日に駅で待ち合せした六人は小さなスーパーに買い物へ出かけた。他の班の女の子たちも買い物をしていたのもあって僕はちょっと気取り気味だった。
 「魚返くんたちもカレーじゃろ、どっちが上手に出来るか競争しよう!」と学年一のブスの神谷のり子が言った。神谷はブスだが性格が良く僕は彼女のことを嫌いではなかった。この頃から僕が大人になって女性をモデルにして撮影した作品の一風変わった趣味の片鱗があった。つまり、僕は女性の容姿より性格に魅力を感じるのだ。しかし、神谷と同じ班の神谷より可愛くて神谷ほどではないがまあまあ性格の良い品川敏子の方が好きだったのはどういうわけだ。そこらへんの少年の心理はあんまり突っ込んで考えてはいけないことを付け加えておこう。
 僕は神谷の言った「カレーの出来で競争しよう」という言葉にむちゃくちゃ反応したのだった。僕は同じ班の六人に「キャンプに行ってからわざわざカレーなんぞ作ってカッコ悪りいぞ。男は優雅に行かんと」みたいなことを言って、発売されたばかりの大塚のボンカレーを持って行くことを強く主張したのだった。しかし、まだボンカレーは九州の田舎町の店頭には並んでいなかったから「ボンカレーなんぞどこで買うんか?」とメンバーが不安になるのも無理なかった。しかし、僕の家にはあった。ボンカレーが段ボール箱いっぱいあったのだ。その理由は、あくまでも僕の想像だが、僕の家が営む店で大塚グループの家具を扱っていたから大塚グループ全体で新製品のボンカレーをサポートするために取引先に直接売ったのではないだろうか。新しもの好きの僕の母がボンカレーを買わないはずはない。その後も大塚が新製品を発売するたびに段ボール一杯の別の味のカレーやら飲料やらが家にあったのだ。
 僕は班の六人にボンカレーを持って行くことを再度主張した。しかし、僕と同じ西鉄ファンの稲垣は賛成したものの、他の四人は真面目揃いで、調理することに意義があるみたいなことを言った。とうとう仲間割れして、稲垣と僕だけがボンカレーを持って行くことになった。
 高原でのキャンプ。いよいよメインイベントの夕飯の支度だ。ご飯は飯ごう炊爨だ。これはさすがに僕と稲垣も同意するしかない。僕の飯ごうでご飯を炊き、稲垣の飯ごうでお湯を沸かしボンカレーのレトルトの袋を入れた。いよいよご飯を皿に盛り、さてさてボンカレーの登場だ、皆さんご覧あれ、、という調子だった。僕たち以外の班の四人はまだカレー作りに苦戦していたから僕たちを羨望の眼差しで見ている。そこへ、カレー作りで挑戦状を叩き付けたブスで気だての良い神谷もやってきた。
 まず最初に僕が盛ろうとした時、すでに稲垣がレトルトの袋のはじっこをつまんで手にぶら下げていた。当時のレトルトの袋は現在のものより封を開けにくい欠点があった。そのことが気になっていたが、まあ稲垣とて素人ではあるまいし(実際はド素人だったのだが)失敗はないだろうとスポットライトを浴びる最初の開封を稲垣に譲った。いざ開封。稲垣はエイ!とばかりに封をあけようとしたが開かない。皆の視線を感じて高揚気味の稲垣はさらに両手に力を込めた。「あっ!」レトルト袋は見事に開いた。しかも真っ二つに。袋の開いた口が大きすぎたのか稲垣の手に持った袋からドドドっとカレーが地面に流れ出てしまったのだった。しばらくの沈黙のあと「うんこ」と誰かが言ったのをきっかけに誰もが「うんこ」「牛の下痢うんこ」「人間のうんこ」などと言った。僕も小さな声で「神谷のうんこ」と言った。僕と稲垣は奈落の底に落とされた気分でしばらくの間放心状態だった。
 気を取りなおして、僕と神谷はボンカレーの一人前を二人で分けた。どんなにご飯にまぶしてもカレーと言うより古くなった飯の色にしかならかった。それをわびしく二人で食べたのだった。
 ところで、ここまで書いて気づいたのだが、僕が書きたかったことはすでに『妄想少年ものがたり』(5)スーパーボールマシン・その2において書いてしまっている。一部抜粋して紹介させて頂くことにします。ごめんなさい。

(5)より抜粋、、、
 それから数ヶ月後、一年生は高原にキャンプに行った。夜、酔っぱらったステテコ姿の岩城は女子のテントでトランプ占いをしていた。女の子たちに囲まれて有頂天。「ちょっとオシッコして来る」と女の子たちに告げてテントを出た岩城を僕と友人と後をつけた。女の子のテントからトイレまで小さな川沿いの小道を歩いて100メートルはある。途中、橋があって川と小道が交差している。僕は岩城が橋を渡る時にさっと近づいて、岩城の腰のあたりを横に突いた。酔っぱらった岩城はバランスを崩し小川に転落した。僕たちは引き返し女の子のテントの近くで岩城が戻るのを待った。戻って来た岩城は、「あはは、、川に落ちたんじゃあ」とずぶ濡れのステテコを両手で開いて女の子たちに言った。テントの中で女の子たちのキャーキャー言う声がした。岩城は僕が突き落としたとはわかっていないみたいだったが、ともあれ僕は、三ヶ月前、岩城にしこたま殴られたかたきを討ったのだった。

(つづく)

□岩城先生。1968年の夏、飯田高原で小川に突き落としたのは僕です。すっとしました。
□時代が前後します。よろしく。
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2010-10-09 : 『妄想少年ものがたり』 : コメント : 0 :

花火大会の思い出・・・2010.8.15



 八月十五日お盆、、朝刊に昨夜の東京湾大華火祭の空中写真が掲載されていた。色とりどりの花火、その花火を映す東京湾の海面、そして海に浮かぶ無数の屋形船、とても幻想的な光景だ。花火大会の写真に見入ることなど今まで一度だってなかった僕なのに、この写真に心を乱されてしまった。
 僕は東京に来てから一度も花火大会に行ったことがない。理由というほどではないけれど、花火大会へ行くことに消極的になる思い出がある。
 少年時代、夏休みの間でいちばんの行事は花火大会だった。僕が住む山間の小さな町の夏祭りは、一ヶ月遅れの七夕と花火大会と盆踊りからなっていた。七夕は8月7日前後で花火大会はその最後の夜に開催された。僕は花火大会の朝起きると一番に空を見て天気を心配した。待ちに待った花火大会が雨で中止になることが心配だったからだ。
 花火大会の時間が近づくと、僕は好きな女の子を探して七夕飾りの商店街を歩いた。河原へ行く人々は商店街を必ず通る。僕は歩いてればその女の子に必ず会えるとわかっていた。そして、女の子に会った。女の子は浴衣姿で時代劇に出て来る団子屋の娘のように庶民的な感じだった。「魚返くん、いっしょに行かんね?」と女の子が言った。僕はそれを無視した。僕は君に興味がないんだよ、、という雰囲気を作った。
 花火大会が始まった。僕は会場を歩いた。打ち上げ花火の地面を明るく照らす明かりで女の子の姿を探した。しかし、この町の人々だけでなく周辺の村々から集まった群衆の中からひとりの女の子を探すのは無理だった。でも僕は事の終らせ方がわからなくて、とうとう花火大会が終るまで女の子を探し続けてしまった。一度始めると終らせるきっかけを失う僕の悪い癖だった。
 花火大会が終わると僕は真っ先に商店街へ引き返し女の子を待った。絶対に女の子が商店街を歩いて家へ帰るという確信があった。そして、女の子は僕に「魚返くん、おやすみ」と言うはずだった。しかし、待っても待っても女の子は来ない。とうとう女の子は来なかった。その時に味わった喪失感はいったい何だったのだろう。そしてその喪失感は今も僕の中にあって、花火大会へ行くことを何となく消極的にしている。



 八月十四日夜、つまり昨夜のことだ。僕はベランダから音のしない小さな小さな花火を見ていた。それは二十キロ以上離れた東京湾の花火だった。つまり、今手元にある朝刊に載っている東京湾大華火祭の空中写真と同じ花火だった。僕は、むかし花火大会が終っても戻って来なかった女の子のことを思い出した。女の子は今、東京湾の花火の下にいるかもしれないと何の根拠もなく思った。彼女は今、しっとりとした大人の女性になって、ほおずき模様の綿紅梅の浴衣を着て、東京湾に浮かぶ屋形船の上でかいがいしく乗船客の間を歩き回って世話しているかもしれない。もしその女性に会えると言うのなら僕は今すぐ東京湾へ飛んで行きたいと思った。



□写真は花火大会と関係ないけれど何となく胸に響くものを並べてみました。
□僕の家でも初盆を迎えた。去年と連続だからちょっとさみしい。僕にこんなセンチな文章を書かせたのは、テーブルの上の小さな盆灯籠の回る走馬灯の光のせいかも知れない。
2010-08-15 : 『妄想少年ものがたり』 : コメント : 0 :

妄想少年物語(12)バスガイドさんの裸・その1

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 外は真夏だ。摂氏三十五度もある。熱せられた頭はふらふらして、あっちこっち彷徨ったあと、結局は僕が中学生の時のいくつかの思い出にたどり着く。その一つがバスガイドの思い出だ。今はまずそれを書かなくてはならない。
 小学校の頃、僕は夏休みになるとボンネットバスに乗ってお婆ちゃんの村へ泊まりに行った。ずっとずっと後になって、僕は画家・谷内六郎に夏の村で遊ぶ男の子として描かれていたことに気づいた。もちろん実際に僕が描かれたのではないけれど、まるであの絵の中に出て来る男の子と同じだった。多くの人たちが谷内六郎の絵の中に自分の子供時代を発見し思い出にふける、、だから谷内六郎の絵は人の心に残る。夏休みに僕の心に残ったものはたくさんある。その中の一つがバスガイドのお姉さんだ。青い制服を着て青い帽子をかぶり茶色のカバンを肩から下げて銀色のハサミで切符を切る。

「ボク、どこまで行くんね?」
「町田・・・」
「町田のどこ?」
「中條・・・」
「じゃあ、子供だから45円よ」

 僕の座席の横に座って切符を切るバスガイドの胸元と足を、うっとりしながら見ていた、たぶん。
 中学二年の時だった。僕は毎週水曜日の夜に算数塾に通った。自宅から塾まで三キロほどの距離で、僕は自転車で通っていた。僕は算数を勉強したかったわけでは決してない。夜遊びをしたかっただけなのだ。親に「塾へ行きたい」というと「そりゃ、、いい、、行きなさい」と二つ返事。週に一度の夜遊びの口実があっさり手に入ったのだった。家を出てさっき帰って来た中学校への坂道をどんどん上る。僕はずっと自転車を立ち漕ぎし続けて、中学を過ぎて道が平になったら、ほっと一息ついて蛇行しながら友達の春吉を待つ。春吉はバス会社の寮の脇の道から僕のいる県道へ出て僕と合流する。そして隣町の塾へ行く。だらだら算数の勉強をして、またさっきの道を蛇行したり、突然競争したりしながら帰るのだった。春吉はバス会社の方へ向かう脇道へカーブしながら、「また明日な!」と言って別れた。

 翌日、学校で春吉がにやにやしながら僕に近づいて来た。

「あのなあ、、昨日塾の帰りに魚返と別れたろうが、、」
「おう、別れた、バス会社んとこで」
「オレなあ、そのあとちょっとすごいものを見つけた!」
「そりゃ何ね?」
「誰にん言うたらいかんぞ!」
「当たり前じゃあ」
「実は、あのバス会社の風呂が丸見えの場所を見つけた」
「え!バス会社の風呂が!ということは、バスガイドが脱ぐとこも見えるんか!」
「それがな、、道路からはあんまり見えんのよ、ただし田んぼからは良く見えるはずじゃ」
「う~、まさかオマエ、、田んぼから風呂を覗こうちゅうんか!」
「そうじゃあ、やろう。どうするんか?」


 バスガイドが脱ぐ、、僕はショックを受けた。そしてく自然に次の言葉が出ていた。

「もちろん、やるに決まっちょろうが!」
「じゃあ、来週の木曜日の算数塾をさぼろう」
「何で?塾の帰りで良かろうが」
「それはダメじゃ。確率が低い」
「なんじゃとお前、、算数まるっきりダメなくせして確率と?」
「あのなあ、バスガイドのほとんどは夕方に仕事が終る。風呂に入ってから晩飯じゃあ。算数塾の帰りだと9時半じゃろ?遅いんよ」
「まあ、仕方ない。さぼろう」

 僕と春吉は次の木曜日の夕方家を出ると塾へは行かず、中学校の校門で待ち合せしたのだった。算数の教科書とノートを自転車の荷台にゴムヒモでぐるぐる巻きにしていざ出発となった。信じないかもしれないけど、当時の僕たちの粋は、荷台に直接教科書をくくりつけることだったんだ。

「春吉よ、、行くか?」
「魚返よ、、行くぞ!」

 春吉が来た脇道の方へ自転車を漕いだ。バスガイドの女子寮の風呂場の正面にある田んぼの反対側に自転車を停めて、靴と靴下を脱ぎズボンを膝までまくり上げた。何故、半ズボンとサンダルでなかったかと言うと、夜間外出は制服着用と決められていたからだ。春吉が先に田んぼへ入った、ポッちゃんという水の音とともに、ズボっと泥に足がのめり込む音もした。田んぼの反対側まで案外近くて10メートルもなかったけれど、足場が悪いので遠く感じた。僕は稲をかき分ける時のガサガサという大きな音が気になった。

「春吉、、稲の音何とかならんか?」
「無理じゃ、バスガイドは風が吹いとると思うんとちがうか?」

 僕たちは風呂まであと数メートルのところまで来た時、春吉が「あっ!」と思わず声を出した。風呂場の窓は田んぼより一段低いところにあり、もう眼の前に風呂場の中が見えていた。誰か風呂に入って来た。湯気で煙っていてはっきりとは見えなかったが、確かに若い女性の裸があった。その時、女の声がした。

「あれ、、なに?」

 僕たちは周囲をきょろきょろしたが、薄暗い田んぼの周辺には誰もいなかった。少しして、その声は複数になって何やらちょっとした騒動になった。「あれ、何だろうね、誰かいる?まさか、タヌキかね、、、」僕たちはそんな騒動より眼の前のバスガイドの煙った裸に眼を凝らすことに集中していた。そして次の瞬間、周囲を切り裂く「キャ-!」という女の叫びとほぼ同時に誰かが上方から僕たちに光を浴びせた。その光は三階建ての女子寮の屋上からの懐中電灯の光だった。屋上で夕涼みをしていたバスガイドたちが僕たちを発見したのだ。

「風呂覗き!」
「誰か~」
「今、誰が風呂に入っちょる?」
「たしか、エイコちゃんだと思う」
「エイコちゃ~ん、風呂覗かれちょるよ!」

「魚返、やばい、逃げろ!」

 僕と春山はめり込んだ足の太ももを交互に持ち上げながら猛烈なスピードで自転車を停めた田んぼの反対側に向かった。そして裸足のまま猛スピードで自転車を走らせたのだった。春山と僕はそれぞれの家の方へ、つまり反対方向へ逃げたのだった。逃げる途中、複数の女の声がした。

「ほら、逃げる逃げる!あっちとこっちに二人おる。あっ、自転車倒した!」

 僕は無事に家まで帰った。僕は春山の自転車が転倒してケガをして、そのまま捕まったのではないかと心配だった。家の前でしばらく座ってじっとしていた。心が動転していた。落ち着けようとしてもだめだった。ハッとした。靴を履いていない。膝までまくり上げていたはずの学生ズボンはかかとまで降りて、どろどろだったし、上着もかなりどろに汚れていた。こうなったら親には自転車ごと田んぼに落ちたと言うしかないだろうと思っていた。心を決めて静かに家の中に入ったが誰もいない様子だった。両親はボーリングに行ったのだった。ラッキーだと思った。そして僕は風呂に飛び込んだ。しばらく湯船に浸かって、あれこれ思い出していたら、何だか可笑しくなって来た。春山もきっと捕まってはいないだろう、とだんだん楽観的になってきた。風呂っていいなあ、とのんきに思ったりした。ふと、よぎったことが気になった。算数の教科書、自転車の荷台にあったっけ?僕は風呂から飛び出して裸のまま自転車を見に行った。ない!教科書がない!僕は再び奈落の底へ落とされたのだった。

つづく

□本来ならフォークデュオは美乳・3を書くところですが訳あって「夏のバスガイドさん」を書いています。すいません。
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2010-07-24 : 『妄想少年ものがたり』 : コメント : 0 :

妄想少年物語(11)フォークデュオは美乳・その2

 初めて女性フォークデュオと会ったのは神社だった。どうして神社で会うことになったのか、どうしても思い出せない。森川が学校の授業中にメモを回して来たのを憶えている。それには『今日の放課後、大原神社で例の二人と会う』と書いてあった。森川は休み時間に僕のところへやって来て次のように念をおした。
「メモを読んだじゃろ、あれに書いてあるとおりじゃ、わかったな」と言った。メモなど渡さずに直接言えば良いことだが、僕はメモを読んで興奮していたせいか不思議に思わなかった。
 放課後に森川と僕は大原神社の鳥居の下で落ち合った。長い石段を上りきって境内を見渡すと、賽銭箱の横に白い夏のセーラー服を着た女の子が二人座っていた。ひとりはギターを持っていたから、すぐに彼女たちが僕たちとグループを組むデュオだとわかった。僕たちは近づいて初対面の挨拶をした。

「こんちゃ、、」と僕たちが言うと、
「はあ、こんにちは」とデュオもぺこりと頭を下げた。
「こいつが魚返で、玖珠のディック・デリンジャーち呼ばれちょる」と森川が言うと、腕組みをして僕を見て促すようにあごを出した。
「あとね、こっちの体育会系のおっさんが、日田の車周作と呼ばれている、森川善三なんよ」と僕が言うと、
「なんじゃと!ちゃんと紹介せい!」と森川は真っ赤になって僕を見た。
「わりい、わりい、こちらは九州のサンタナと言われている森川です」

「あの、、私たちも自己紹介をします」とベッツィーが言った。胸が大きいからベッツィーだ。もうひとりはちょうど良い大きさの胸をしていたからクリスとなった。もちろん、本物のベッツィー&クリスの胸の大きさと整合している。

「私の名前は純子で、こっちが美知子。私たちは日田女子学園の二年生で、フォークソング部に所属しています・・・」(約五分間自己紹介が続くが省く)

 ベッツィー、、つまり純子の自己紹介を遮って森川が言った。
「あんね、オレらとフォークグループを組まんね。それで大嶋三平さんの『遊園地へ行こう』を歌ってくれんね」
「はい。喜んで。ただし、条件があります。私たちの女子校は他校の男子とこうやってバンドとかやるの絶対に許さない雰囲気だから、一応学校にはバレないように内緒でお願いします」
「じゃあ、私服で来たらええ」と僕が言うと、
「いいえ、日田女子は私服禁止なんです。外出は制服と決められているんです」
「へ~、、」
「よろしくお願いします」
「了解!」と約束したものの、どうやって内緒にするんだ?

 日田女子学園は私立高校で制服が洒落ていることで、日田の男子校や共学校の男子たちが憧れていた。僕と森川は彼女たちを純粋にバンドのメンバーとしてのみ見ていたはずだったのだが・・・。初日から雲行きが怪しくなってきたのだ。
 原因は彼女たちのセーラー服にあった。彼女たちの制服の襟は深く「V」になっていて、しかも普通は胸元を隠すために着いている三角の布がついていない。したがって、前屈みになると胸の膨らみが露骨に見えてしまうのだ。僕は彼女たちに会ってから毎晩のようにおっぱいにうなされた。僕は純子のおっぱいより、美知子の普通サイズのおっぱいが自分にはふさわしいと思った。その通り、夢でも美知子のおっぱいばかり出て来るのだった。

「おい、森川、、夢に出らんね?」
「なんがか?」
「あいつらのおっぱいじゃ」
「あ!、お前もか、実はおれもなんじゃ。魚返はどっちがいいんじゃ?」
「え~、、そんなん言えん。お前こそ言え」
「そんじゃ、せ~のでいっぺんに言おう」
「よし」

「せ~の、じゅ・み・ん・ち・こ!」
「森川、お前、純子ち言うた?」
「魚返、お前、美知子ち言うた?」
「あははは、、、」

 僕たちは初練習が待ち遠しくてたまらなかった。

(つづく)

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2010-06-17 : 『妄想少年ものがたり』 : コメント : 0 :

妄想少年物語(10)フォークデュオは美乳・その1

 「妄想少年物語」では僕が少年だった頃のエピソードを書いて来たけれど、今回はフォーク少年だった17才、高校3年生の時の思い出を書こうと思う。

 親友の森川善三は柔道部の主将で体格が良かったが、その風貌に似合わずギターが上手かった。僕もギターが好きだったから時々ふたりだけでセッションをするようになった。森川はクラシックギターしか持っておらず、ガット弦のギターでエレキの真似事をしていて、腕前はともかく後のアル・クルーより早くその世界をやっていたことになる。
 そのうちにある農家の長男から鉄の塊のように重くコバルト色をして不気味に変形したベースギターをもらって来た。なんでもそのベースは農家の長男が雑誌明星に掲載されていた通販を見て購入したもので、原型はフェンダーのジャズベースのコピーでオーソドックスなサンバーストカラーだったのだが、長男は地味さが嫌で上下を切り落として市販のラッカーでペイントしたと言う。その長男はもう三十だし、自分にはベースは向いていないと森川にベースを譲ったらしい。
 ともあれ、それから僕たちはギターとベースでセッションをする日々が続いた。僕も森川もギターが好きだから、二人は仕方なく交代でベースをやった。その頃聞いていたのは、吉田拓郎や井上陽水などフォークとクリームやサンタナ、ディープパープル、ロイ・ブキャナンなどで、無節操で手当たり次第だった。そしてそれらをコピーして楽しんでいた。
 ある日のこと僕たちはメリーゴーランズというフォークグループを結成した。その理由はこうだ。元かぐや姫のベース奏者の大嶋三平率いる男性3人組フォークフループが僕たちの街へやって来て公民館で小さなコンサートを開いた。彼らがエンディングで演奏した『遊園地へ行こう』を聞いて感動した僕たちは、とにかく大嶋三平さんたちのようにフォークグループを結成しコンサートを開き『遊園地へ行こう』を人前で演奏しようと決意したのだった。
 しかし、僕たちは歌がまるでダメだったから、ボーカルをメンバーに入れようと決めて、まずは地道に探すことにした。しかし、自分たちの高校で軽音楽をやっている生徒は、僕たち二人と、ガンガンのハードロッカーでとても毛深い四万十君を含めた3人だけだった。だが、森川はめげない。柔道部主将の彼は、他校との交流もある、その関係からボーカルを探しているからちょっと待ってくれ、と僕に言った。僕はアホかと思った。柔道部にボーカルが探せるはずない。都会ならまだしも、田舎の高校の柔道部が、、アホらしい。いや、都会でもアホらしい。
 それから二週間ほどしたある日のこと。

 森川が肩にコバルト色のべースを担いで、駅まで近道をするため田んぼのあぜ道を走っていた。そして駅で待っていた僕のところまで来ると「魚返よ、、ベッツィー&クリスんごたるぞ!」と言った。

 ベッツィー&クリスとはハワイ出身のフォークデュオで、先刻他界した加藤和彦が作曲した『白い色は恋人の色』を大ヒットさせたことで有名だ。

「ボーカルの女ん子が見つかったんじゃ!」と森川は荒い息で言った。
「ベッツィー&クリスちね?外人のホステスか!」
「正真正銘の日本人。それがなんと二人組なんじゃ」
「それならシモンズじゃろうが。じゃけんど、俺たちは男性ボーカルを探しているんじゃ、、」
「堅いこと言うなっちゅうの。。一人がギターでもう一人はタンバリン」
「歌はどうなん?」
「まだ聞いとらんけんど、日田では上手と評判の女子高生デュオで、ハモるらしいんじゃ。こん子らを入れたら『赤い鳥』じゃあ」
「森川、、違うぞ、赤い鳥は五人組グループじゃ」
「顔はどうなんね?」
「あ、、顔のことは聞いちょらん。しかし、日田硬派高校の柔道部の田村の話じゃ、一人は胸が大きくて、もう一人はちょうどいい大きさいらしい」
「はあ?」
「じゃけん、シモンズじゃのうて、ベッツィー&クリスなんじゃ」
「・・・」

(づつく)

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2010-06-12 : 『妄想少年ものがたり』 : コメント : 0 :

妄想少年ものがたり(9)野イチゴ

 幼稚園で観た紙芝居が僕の心に残っている。その紙芝居の題はおぼえていないが、内容は断片的に今もなお記憶にある。
 野イチゴ摘みをする少女の話だった。少女はカゴを下げて野イチゴ摘みに山へ行き、群生する野イチゴを見つけて大喜びする。しかし、野イチゴには小さな刺があって、その刺で少女の足は傷だらけになった。その傷を野うさぎが舐めて直し、少女と野うさぎは仲良くなって野イチゴをいっしょに食べた。そんな話だったと思う。
 ある日。僕は友達からイチゴが群生している場所があると聞かされた。僕はどうしてもそこへ行き本物のイチゴを摘んで食べてみたいと思った。何故なら、その当時イチゴはどこの店にも売っていなかった。だから、僕たちの知っているイチゴの味は、イチゴ味のガムやあめ玉のことで本物ではなかった。だから、野生のイチゴが群生する場所があると知ってからは、どうしても食べたくて、イチゴ摘みのことしか頭になかった。

「おかん。イチゴ摘みに連れて行ってくれんね」
「あんた、女ん子んごたるね」
「イチゴをいっぱい摘めるとこがあるんよ!」
「イチゴなら親戚のばあちゃんに頼んで摘んで来てもらおうかね」
「だめだめ、どうしても自分で摘みたいんよ」

 母が連れて行ってくれると言わないので、僕は一人で行くことにした。
 イチゴが群生していると聞いた場所は、自衛隊のある山の上だった。僕は駅前から自衛隊行きのバスに乗った。二十分ほどで終点の自衛隊前に着いた。自衛隊の門の前に降ろされた僕は、自衛隊の駐屯地を囲んだ冊に沿って歩いた。わくわくしたけれど、何だか怖さもあった。

「見つけた!イチゴじゃあ!」と僕は叫んだ。

 僕は野イチゴを摘んだ。持って来たざる一杯摘んだ。食べてみたが甘くはない。いがっぽいし、酸っぱい。それでも野生のものを食べる感激があった。
 ふと草の奥で泣き声がしたような気がした。僕はぞっとした。恐る恐る声の方へ分け入ると少女が座っていて、その脇には野イチゴの入ったカゴが置いてあった。彼女は信じられないほど首をぐっと曲げて、ちょうど膝上10センチぐらいのところの太ももを舐めていた。少女は僕を見て一瞬驚いた表情をしたが、すぐにまた太ももを舐め始めた。少女は太ももにケガをしていたのだった。

「どげえしたん?」と声をかけた。
「何でもない・・・」と僕を見上げて言った。
 
 少女の太もものキズは案外深くて、血が止まる気配はなかった。僕は呆然と彼女を見ていた。そして怖くなって、その場から走り去ってしまったのだった。自衛隊の門の前のバス停まで戻ったとき、一瞬少女のことが気になったけれど、それを振り払うようにやって来たバスに飛び乗ってしまった。バスの中で置き去りにした少女のことを思った。座席の横に置いたカゴの中の野イチゴの色が、少女の太もものキズから流れ出る血の色に見えた。
 僕はイチゴを見ると、少年時代に自衛隊の山で会った太ももにケガをした少女の姿を思い出し、深いエロスの底に誘われるのだった。
2010-04-08 : 『妄想少年ものがたり』 : コメント : 0 :

妄想少年物語(8)柿の少女

  柿を見ると少年時代のある倒錯した映像がよみがえる。それは僕が見た事実であるにもかかわらず、限りなく夢に近い思い出だ。僕は今までこの話を誰にも語っていない。何故なら、登場する少年や少女のことを思いやる必要があったからだ。だから、、少し曖昧な書き方になってしまうかもしれない。
 こんな話だ。ある放課後、僕は一人で校舎の周囲を歩いていた。理由はわからない。僕と同じクラスの男子と少女が校舎の裏にいた。男子は割と裕福な家庭の子で、少女の親は教師だったと思う。いったいこんなところで二人は何をしているのだろう?少女は柿を手に持って座り、男子は彼女と向かい合って座っている。僕は二人の存在に気づいてあわてて木の陰に隠れ、そこから二人をそっと見ていた。体育座りの少女は白い綿の下着を膝までおろして、男子は少女の股間を長い藁でくすぐっていた。次の瞬間、藁の先が少女の身体の奥に消えた。稲妻が僕の中に走った。僕はやるせなくてその場から逃げ出してしまった。
 校庭の裏で柿の少女を見てから十数年後、同窓会で僕は美しく成長した柿の少女と再会した。二次会で僕と彼女は隣り合わせに座った。その時彼女がカラオケで歌ったのがテレサ・テンの『つぐない』だった。彼女の歌を聞きながら僕は校舎の裏で見たことを思い出していたのだった。それ以来、柿の少女とは会っていない。
 僕は柿を見るとこの日のことを鮮明に思い出す。この光景が僕の作品に少なからず影響していると思う。


・写真はイメージです、、実際の話とは無関係です。


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2010-03-24 : 『妄想少年ものがたり』 : コメント : 0 :

妄想少年物語(7)天井裏の話

 同じクラスの小野寺が転校することになった。とてもおとなしくて性格の良い男子だった。僕たちは彼の最後を飾ってあげようと、のぞきの特等席に招待することにした。しかし、問題はその特等席にはまだ誰も行ったことがないことだった。おとなしい小野寺で大丈夫か、大柄な小野寺で大丈夫か?という不安が僕たちにあったが、彼の運を信じて実行することにした。
 特等席は天井裏にあった。ある男子が教室の机の上に椅子を載せてその椅子に立って天井に穴を空けた。 穴の場所は黒板に向かって左前方の角。教室の角にカーテンが張ってあり、その中で女子たちが着替えるのだ。体育の授業は2クラス合同だったので、男子が1組で女子が2組の教室とそれぞれ別れて着替えるからカーテンは不要に思える。しかし、女子たちにとって複雑だったり少し問題のある難しい着替えの時はこのカーテンの中で着替えるのだ。たぶん。

「小野寺、やれるか?」
「魚返、本当に大丈夫なんか?」
「何が?」
「見つかったりせんかねぇ?」
「なんで見つかるんか?小野寺はずっと天井裏じゃきね、女子たちからは見れんばい。誰も気がつかんよ」
「そうじゃのぉ~」

 いよいよ体育の授業前の休み時間になった。僕たちは速攻で着替えて、小野寺を1組と2組の教室の中間あたりの廊下の天井にある電気工事用(?)の四角い入り口から天井裏へのぼらせるために、教室から机と椅子を持ってきてピラミッドのように組み上げた。

「さあ行きよっ、小野寺がんばれ!」
 と言って小野寺を机と椅子のピラミッドに上らせた。小野寺は天井の四角い蓋を開けてその中へ入った。そして、四角い窓からひょいと顔を出してにっこり笑った。しかし、極度の緊張から小野寺の顔は完全に引きつっていた。
 僕たちは天井を見上げて小野寺の位置を予測した。着替え終わった女子がぼちぼち2組の教室から出て来て、天井を見上げる僕たちを不思議そうに横目で見ながら下駄箱の方へ立ち去って行く。さらに女子たちがどんどん出てきて、もう2組の教室には数人の女子しか残っていないだろう。小野寺が消えて五分ほどたった頃だ。2組の教室の中でドスンという音がした。つづいて女子の悲鳴が上がった。「キャ~!」僕たちは2組の戸の前で天井を見上げながらかたずを飲んだ。女子が出てきた時、開いた戸の向こう側に唖然とする光景があった。何と、小野寺が天井からぶら下がっていたのだ。僕たちは2組の教室に飛び込んだ。
 ぶら下がった小野寺の真下の床には天井の板が落ちている。小野寺は暗い天井裏でうっかり張り板のない薄い天井板の上に乗ってしまったのだ。小野寺は大柄だったから薄い天井板に乗ってしまえば落ちるのは当然だった。小野寺は体操の吊り輪の演技のように見事に静止している。すでに体育着に着替えていたからまさに体操の選手みたいだった。ただ違うのは、小野寺が顔を真っ赤になっていることと、「たすけて~」と叫んでいることだった。
 僕たちは大急ぎでピラミットを組んで小野寺を助けた。僕たちが途方にくれているとき、ビンタ教師の岩城が教室に入ってきた。女子が告げ口したな、と思った。でも考えてみれば、これは告げ口というレベルではなく、事件を報告したにすぎないのかもしれない。女子の更衣中に男子が天井から降ってきたんだからこれは完全に事件だろう。

「おマエら、、なにしちょんね?」怖いくらい優しくしかも笑顔で岩城が言った。
「はい、小野寺が天井に穴を見つけて、それをふさごうとして天井裏に上がって、板に手を掛けたところ、うっかりして板といっしょに落下しました」と僕が言い訳をした。
「わかった。怪我はねえか。体育の授業が始まるぞ。早くグランドに出らんね」
 岩城は嘘とわかっていながら僕たちを許した。放課後、僕たちはまた2組の教室にピラミッドを作って、落ちた天井板をもとの場所に無造作に釘で打ち付けた。下から見るとその場所だけ板がボロボロになっていて、永遠にき事件の跡が残ってしまった。

 そして小野寺は転校してしまった。僕は天井を見るたびに小野寺の姿を思い出す。何だか小野寺に悪いことをしたなと思った。岩城が僕たちを許したこともちょっと気になっていた。2年生になったら少しは岩城のいうことも聞いて真面目な中学生になろうと思ったが、岩城は新1年生の担任になり僕たち新2年生の担任にはならなかった。 

(づつく)

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2009-12-10 : 『妄想少年ものがたり』 : コメント : 0 :

妄想少年物語(6)床下の話

 二学期になったある日のこと。放課後のグランドで僕は岩城に呼び止められた。
「魚返、今度の土曜日の晩、オレは宿直で学校に泊まるからお前も来い。泊まれ。いっしょにすき焼きを食おう」
 僕はその言葉を聞いてばからしくなった。岩城はまるで熱血教師(今風に言えば、世直し先生)気取りでうさん臭いと思った。僕を何とか更正させようというつもりだろう。岩城は教師という仕事に熱心なんだろうけど、すき焼きを一緒に食べて一晩泊まったぐらいで教師と打ち解けあえるもの?有馬さんのスカートをめくっただけで、僕はすっかりワルのレッテルを貼られたようだ。
「あのォ、先生と泊まるのは遠慮しちょきます」
「いいから泊まれ。待っちょるぞ。絶対に来いよ。両親にはオレから言っておくから」
 僕が岩城の言葉を無視したのは言うまでもない。

 覗きが流行した。数人の男子が教室の床下にもぐり、女の子の席の下にキリで小さな穴を開けた。休み時間になると床下の穴の下で場所のとりっこをしていた。僕も誘われて床下にもぐって穴を覗いたけれど、真上を向く姿勢は首が90度も折れてしんどいし、眼にゴミが入るのでやめた。ただ、好きな女の子の椅子の下に穴を開けられてしまったのを見た時は、かなり複雑な気分だった。
 事件が起きた。ある日の休み時間。教室で女子たちがキャーキャー言っている。
「ここに穴がある!誰かが床下におるよ!スカートん中を覗き見しよるんとちがう?あっ、床下で男子の声がする。ほら、見つかったとか、逃げろとか言ってる、、この声は魚返くん!魚返くんの声じゃあ!」
 一人の女子が廊下を猛スピードで走り去った。伊集院美子だ。日頃からおせっかいで、男子に注意ばかりする女子で、スカートめくりの時に僕のことを先生に言いつけた三熊と同じ言いつけ魔だった。僕の声を聞いたというのは伊集院美子の勘違いだ。でももう遅い。僕が騒ぎを聞いて教室に駆けつけた時は伊集院美子は先生に言いつけに走り去った後だったし、女子たちは僕がたった今床下から出て来たと思ったようだ。僕はトイレに行ってただけだった。なんでオレが言いつけられなきゃならないんだ。僕はまったくついてない。

 負のイメージは拭い去りがたいものなんだと思った。エッチな男子というレッテル。いっそのこと僕はそのイメージを楽しむことにした。

(つづく)
□伊集院美子さん。床下の声は僕ではありません。もちろん、床下にもぐって覗きをしたことはあります。でもその時あなたが聞いたのは僕の声ではありません。あほ!
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2009-12-05 : 『妄想少年ものがたり』 : コメント : 0 :

『妄想少年ものがたり』(5)スーパーボールマシン・その2

 三熊が言いつけるという先生は僕の担任の岩城だろうと思った。岩城は同じクラスの菅田という男子に対してダブル往復ビンタを喰らわした先生だ。菅田は中学卒業後、同じ高校にも進んだし高校卒業後も飲み歩いたほど仲の良い友人だったから、僕はすぐに殴られた現場に駆けつけた。口から血を流した彼の顔を良く憶えている。菅田が殴られた理由は、掃除の時間にロシア民謡に合わせてほうきで野球の真似をしたという、ごく当たり前の行為が原因なのだ。ちなみに何かというとロシア民謡を流すのがその時代の学校らしかった。岩城は優しい顔つきをしているが瞬間湯沸器だ。怒ったらすぐに殴る。昭和四十年代前半は先生が生徒を殴ることは体罰ではなく教育の時代だった。

 やはり三熊は岩城に僕が有馬さんにスカートめくりしたことを言いつけた。教室で掃除の真似事をしていた僕のところへ岩城がやってきた。

「魚返!ここへ来い!オマエは有馬さんに何をしたんだ」
「えっと、、スカートを、、」
「スカートをめくったんだな!」
「はい」

 岩城は思い切り僕の左頬にビンタを決めた。僕の身体は右に大きく傾き、かぶっていた西鉄の野球帽がふっ飛んだ。さらに岩城は返す手で僕の右頬をビンタした。それを三回繰り返した。僕は口の中が切れた。それでも、多少だが手加減しているように感じた。何となくだが・・・。岩城の心の中に僕を殴ることへの弱みがあるのかもしれない。僕は殴られながら「有馬さんじゃなく、三熊じゃったら、あんたそんなに怒らんじゃろが!ひいきじゃ!」と心の中で叫んでいた。そんな態度が岩城に伝わったのか、岩城は一向にビンタをやめなかった。彼に一体何があったのだろう。きっと彼にとってスカートめくりは、自分も昔やりたくても出来なかったか、それとも有馬さんが好きだったか、のどっちかだろう。

 気づいた時、僕の前から岩城は消えていた。そして僕は泣いていた。ずっと泣いていた。友達が慰めてくれたけど、的外れだったから、がっかりしてまた泣いた。僕はその日の午後の授業は受けずに、校長室に正座させられた。教頭先生が「魚返くん、君はいったい何をしたんだね」と笑いながら近づいて来た。このバカ教頭!そんなこと今さら言えるか!と僕は思った。その後も次々に先生がやって来て同じように「何をしたんね?」と聞く。知ってるくせに、と思った。この経験のせいだろうか、誤解を恐れずに書くけど、食事を拒絶した市橋容疑者の気持が少しわかる。
 次の日の午前中も校長室に正座して、やっと岩城が僕を許した。

 それから数ヶ月後、一年生は高原にキャンプに行った。夜、酔っぱらったステテコ姿の岩城は女子のテントでトランプ占いをしていた。女の子たちに囲まれて有頂天。「ちょっとオシッコして来る」と女の子たちに告げてテントを出た岩城を僕と友人と後をつけた。女の子のテントからトイレまで小さな川沿いの小道を歩いて100メートルはある。途中、橋があって川と小道が交差している。僕は岩城が橋を渡る時にさっと近づいて、岩城の腰のあたりを横に突いた。酔っぱらった岩城はバランスを崩し小川に転落した。僕たちは引き返し女の子のテントの近くで岩城が戻るのを待った。戻って来た岩城は、「あはは、、川に落ちたんじゃあ」とずぶ濡れのステテコを両手で開いて女の子たちに言った。テントの中で女の子たちのキャーキャー言う声がした。岩城は僕が突き落としたとはわかっていないみたいだったが、ともあれ僕は、三ヶ月前、岩城にしこたま殴られたかたきを討ったのだった。

(つづく)

□岩城先生。1968年の夏、飯田高原で小川に突き落としたのは僕です。すっとしました。
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2009-12-03 : 『妄想少年ものがたり』 : コメント : 0 :

『妄想少年ものがたり』(4)スーパーボールマシン・その1

 中学に入ってからはどんどん出鱈目な男子になっていった。女の子に興味があっても曲がった表現しかできない屈折した男子になった。つまり、妄想少年としては順調な成長を遂げていたと言える。
 中学一年の時、クラスでスカートめくりが流行った。と言っても、数人の出来の悪い男子がおどけてスカートをめくる振りをしているに過ぎない。僕は、あんなもんはスパッと決めてしまわなければダメだと、その男子たちのやり方に不満を持っていた。見るに見かねた僕は、スカートめくりマシンを作ったのだった。
 材料はスーパーボールと輪ゴムだけだ。スーパーボールとは、地面に当てるととんでもなく跳ねるゴム製のボールで、一時期猛烈に流行った。その後、縁日などでスーパーボールすくいなるものが出ていた記憶がある。そのスーパーボールにキリで穴を開け、輪ゴムを通す。輪ゴムは長く編んで出来上がり。最後の輪を中指に通してヨーヨーみたいに使うのだ。僕は、スーパーボールをスカートを履いた女の子の真下の地面に力強く投げつけると、スーパーボールは跳ね上がり、一気にスカートを持ち上げるだろうと予測した。不安もある。跳ねたスーパーボールがお尻や太ももに当るかもしれないし、悪くするとオ◯◯コ直撃という悲劇さえあり得る。僕は家の中に服を吊るして何度も練習した。それこそ一晩中練習したのだった。

 いよいよ本番の時がやってきた。ある日の休み時間、学校の渡り廊下に数人の男子を集めた。
「いいね!今からスカートめくりする。よ~見とけちゃ」

 向こうから女の子がやって来た。有馬さんだった。僕はちょっとまずいかなと思った。有馬さんは学校で一番穏やかで無口な優等生。容姿だって細くて色白のお嬢様風だし、いきなり有馬さんのスカートをめくるのは気が引けた。あまりにも破廉恥だ。もう一人、やや遅れてやって来たのが、三熊という男顔負けのおてんば娘。よし、とばかりに僕は迷わず三熊に照準を合わせた。

「行くぞ!」
 と男子たちに合図して、二人をやり過ごした直後に三熊の真下の土間に向けてスーパーボールを思いっきり投げつけた。
「あっ!」
 スーパーボールは三熊の足元からイレギュラバウンドして、あろうことか有馬さんのスカートの中に入って行くのが見えた。
「きゃ!」
 有馬お嬢様のか細い悲鳴が廊下に鳴り響く。僕は慌てて輪ゴムを引っ張って手元に戻そうとした。スーパーボールのスピードを考えたら、引っ張ったところでもう手遅れに決まっている。いや、むしろ引っ張ったことで、有馬さんのスカートの中の奥深くにくい込んだスーパーボールは見事にスカートをひるがえしてしまった。
「ご、ご、ごめん」と僕は有馬さんに言った。
「・・・」有馬さんは何も答えず、顔を真っ赤にしてただ呆然と立っていた。
「うぉ~」
 と男子たちは一応に声を上げたあと、
「すげえ!天才発明家!もう一回!」
 などと囃し立てた。状況を理解しないまったく馬鹿どもなのだ。
「ああ、魚返くん、いけないんだぁ。言いつけるよ」
 と隣に立っていた三熊が言った。三熊は先生に言いつけるのが趣味みたいな女だった。つまり、スーパーボールが予定どおり三熊のスカートの中に入ったとしても、どちみち先生に言いつけるから同じ事だった。しかし、有馬さんのスカートの中と三熊のスカートの中とでは罪が違うのだ。僕はそう思った。
 僕にとって予期せぬ事態が起こった。さあ大ピンチ!

(つづく)

□1968年、僕は有馬さんのスカートをスーパーボールを使ってめくる悪戯をしました。本当にごめんなさい。学校で一番真面目で清楚な有馬さんにすべきことではありませんでした。この場を借りて有馬さんに謝罪いたします。
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2009-12-01 : 『妄想少年ものがたり』 : コメント : 0 :

『妄想少年ものがたり』(2)実家のはなし

『妄想少年ものがたり』(2)実家のはなし

  実家は久大本線・豊後森駅前商店街で家具商を営む。と言っても僕が幼少のころは雑貨屋みたいなもので、箸や茶碗、ミシンまでも扱っていた。しまいにはレコードやステレオも売っていた。この何でもアリの感覚は母親の仕業で、晩年において母が多数の宗教に染まっていたのもうなずける。浅草の観音さんとイエス様と地元のお地蔵さんがいっしょに祭られていたのを見て育った僕は、全く宗教を信じない少年になってしまったのは言うまでもない。例外は、地元のお地蔵さんが大好きなことか。
 数年でレコードの販売をやめた結果、大量のレコードが売れ残り我が家に残った。僕はそれらのレコードを片っ端から聞いた。歌謡曲、童謡、民謡、軍歌、クラシック、ポップス、などで何故かジャズのレコードは1枚もなく、僕はサムテーラーの吹くサックスのムード歌謡をジャズだと思っていた。僕は音楽に精通したと思い込み、音楽的な才能もあるんじゃないかと、とんでもない思い違いをしてしまう結果となった。数年後、怒濤のごとくやってきたエレキブームにひょいと乗っかって地の果てまで突っ走った。
 父親は一言でいえば真面目で、酒さえあれば文句のない平凡な人物だった。そんな父親の趣味は写真だったというが、例えば写真愛好家がブランデーを飲みながら愛用のカメラを大事そうに布で拭いているというような、そんな光景を一度も見たことがない。父親が初めて持ったカメラはパチンコの景品でマミヤだったらしいことは、後々父親の酔った口から聞いたことがある。一方、母親は根性があり商売に熱心だった。そんな母のお陰で商売はある時まではそれなりに繁盛していて経済的に恵まれていた。父をそそのかして色々なカメラを買わせて、結局自分が使うという幸運にも恵まれた。後年、僕がプロカメラマンになれたのにはこんな少年時代の環境があったからかもしれない。

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2009-10-19 : 『妄想少年ものがたり』 : コメント : 0 :

『妄想少年ものがたり』(1)僕の名前

 女の子を撮りはじめたのは1992年の秋のことで、今日までに600人を超える女の子を撮った。モデルは僕が街でスカウトした女の子たちで、友人の紹介やネットでの応募などの例外もあるけれど、たいていは偶然出会ってスカウトした。彼女たちはみんな普通の女の子だから撮られることにどちらかと言えば慣れていない。それが微妙な味となって僕の作品を生み出してくれていると思う。
  これが長い間、僕が僕についてウェブなどで書きっ放しにしてたものだ。最近心境の変化があった。もう少し僕のことを書いてみたいと思う。自分のことは、インタビューやトークライブなどで半分嘘みたいに語ることはあったけれどちゃんと振り返ったことはない。少しずつ書き足すつもり。ちょっと時間がかかってしまうかもしれない。

・・・・・・・2009.10.11(日)記

『妄想少年ものがたり』(1)僕の名前

 これから書くことの全部が事実のつもりでも、どこかで夢と現実が入れ替わってしまっていたり、完全に妄想だったりする可能性もある。人の記憶とはそんな曖昧なものだ。
 今の僕は、勝手に妄想写真家という肩書きを自らに付けて、街でスカウトした素人の女の子を撮っているけど、そうした嗜好はどうも僕の少年時代の経験にあると疑っている。僕の作風の原点を知るには、恥をしのんで昔のことを書くしかないみたいだ。あきれるほど長い物語の始まりだ。最後ま書き終えられるかまったく自信がない。
 1955年12月23日、僕は大分県玖珠(くす)郡玖珠町に生まれた。この町は、 九州山地に囲まれた盆地にある小さな田舎町で、これといった産業もなく、町を見下ろす高台にある自衛隊の駐屯地が町の景気を支えていた。時々大砲の演習の音がドンと鳴るし、夜になると裏通りの飲み屋は自衛隊員でいっぱいになる。そんな町だから、幼稚園の遠足の行き先が毎年自衛隊の駐屯地になっていても誰も何の疑問も持たなかった。ぼくたち園児を前にして、隊員が機関砲に乗りすごい勢いで砲台を回転させたり、小銃の使い方を実演したり、いろいろな種類の弾薬を並べてそれらの効果など僕たちにはまったく無意味な講義をしてくれた。お昼は戦車や装甲車のキャタピラを背にしてお弁当を食べた。今考えると空恐ろしいが、おおらかとも言える。僕はこうしてこの町のおおらかさと出鱈目さを身につけて行った。あと、この町について付け加えれば、のんびりしたそれはそれは美しい町ということに尽きる。
 僕の魚返一真っていう名前だけど、これは本名です。次男なのに一が付くのがずっと疑問だった。ちなみにイチロー(本名:鈴木一郎)も次男なのに一が付く。僕は実家の店の二階で生まれた。不意に産気付いた母が産み落としてしまった、と親父から聞いた。駆けつけた産婦人科医が古野一真という人で、この人の名前をもらったらしい。なるほど、僕は産婦人科医から名前をもらっているんだから女性の下半身に人並み以上に興味があってしかるべし、と思ったのは実はたった今なのだ。人間、自分のことをわかったつもりでいるけど、何にもわかっちゃいない、と書きながら思う。イチローも誰かの名前を拝借して付けられた名前なのか・・・。苗字の魚返は珍しいけど、田舎では少しはいる。魚返という地名もある。別名だが、魚返の滝という名所もある。この名前、つまり魚返一真だが、ずっと嫌いだった。学校で女の子に「時代劇んごたるね」と言われたりした。どこへ言ってもみんな僕の名前をつっかえる。高校時代、卒業するまでずっと「うおがえし」と頑固に言い続けた教師もいたほどだ。病院でも「うおがえしいっしんさん」と呼ばれたりする。小学校低学年の時。カバヤ?のお菓子を買って集めたシールをメーカーに送るとゼロ戦のバッジがもらえるというので兄といっしょに応募した。数週間後、兄にはゼロ戦のバッジが届いたが、僕に届いた封筒からはミコ(弘田三枝子)がシャボン玉と一緒にふわふわ浮いている絵柄のバッジが出て来た。この時の僕の落胆はひどかった。それ以来、二度と菓子メーカーの懸賞に応募しなかった。ミコのバッジは名前のせいではないだろうが、僕はずっと自分の名前が性別不能だと思っていた。東京へ来てからは、魚返さんはあの言語学者の魚返善雄さんのお身内ですか?と度々聞かれる。善雄は僕の伯父ですと答える。これは変わった苗字のおかげでだろう。田舎ではほぼ無名の叔父が東京ではほんの少し知られた人というのはちょっと意外だった。そして、僕がプロカメラマンになって相手に名刺を出すとペンネームですか?と言われるのだ。つまり、魚返一真という名前は僕がカメラマンになってから付けたと?名前って不思議なものだ。

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Author:ogaeri
1992年より一般の女性をモデルに作品を撮り始める。2008年「鉄道と彼女」を発表した。
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