『突然プロカメラマンになる方法』(17)ポートレート・・・1

~魚返一真の自伝的小説~

 スケボーの写真は好評だった。
「魚返さん、いや巨匠。スケボーの写真バッチリでしたね。編集部でも評判でしたよ。次回も撮影の方よろしくお願いします。また日程を追って連絡します」と担当編集者の寺本からも報告の電話が来たほど好評だった。しかし、僕は素直に喜べなかった。一ヶ月ほど前に渋谷で街角スカウトの撮影をした後も同じような気分だった。つまり、運良く撮れたけれど自分の力で撮ったと言い切れないことが不満だったのである。
 それでも、モノクロの連載の撮影はずっと続いた。やはり、写真の評判は良かったが、撮影後の空虚な気持ちはずっと同じだった。当時の僕はだただ必死で撮影する以外に何もできなかった。

 それから数ヶ月が経ったある日。寺本から『彼らのスタイル』の4度目の撮影依頼があった。彼の説明によると、取材相手は情報専門誌が主催するフィルムフェスティバルで優勝した映画監督を目指す若者ということだった。僕たちは西武池袋線の大泉学園駅で待ち合わせして、彼がバイトしているという映画会社の撮影所を訪ねた。
 撮影所はさびれている印象だった。映画界に往年の勢いがないことを如実に表していた。そこへ、あちこちペンキで汚れたつなぎを着たナイーブそうな若者がす~っとどこからともなく僕たちの前に現れた。こんな人が将来は映画監督かあ、と僕は不思議な感じがした。僕の映画監督のイメージは黒沢明とか市川崑みたいに超大物だからちょっと拍子抜けした。いつものように編集者の寺本が僕と作家の高見さんを若者に紹介した。

「こんにちは。よろしくお願いします」と若者は小声で言った。
「じゃあ、最初にお話を伺いましょう」と寺本が言った。最初に撮ることが多いけれど、撮るタイミングは人物のやっている事柄によって寺本が直感的に決める。もちろん、その判断に間違いはない。

「ちょうど昼時ですし、お昼でもご一緒しながらお話を伺うというのでどうですか?」
「はい。良いですけど、撮影所の食堂しかないですよ」
「ええ、そこで結構ですよ」
 
 若者に案内されて食堂へ。何と古めかしい食堂だろう。昭和三十年代の造りだった。食堂のおばさんに「カレーしかないよ」と言われて僕たち四人は、妙に黄色いカレーライスを盛った皿と水を入れたプラスチックのグラスの載ったアルミのトレーをテーブル運んだ。彼は静かで実直な若者だったが話の内容はあまり良く覚えていない。僕は食事後の撮影のことで頭がいっぱいだったのだ。撮影はきっとスタジオの中になるだろう。僕としてはカチンコを持った彼がスタジオ内で立っている単純なものがいいと思った。なぜなら、彼には静かな魅力があったから、それを伝える写真が良いと思った。
 インタビューが終わり、撮影スタジオへ移動した。使っていないスタジオは暗い。しかし、僕たちが入って来た天井まである大きな開き戸から射し込む光がとても良かった。光と闇の明暗が古き良き映画全盛時代を懐かしむ雰囲気を作っていた。その明かりの中心へ彼を立たせた。僕はとても気に入って、すぐに撮影した。ただし、カチンコはなかった。寺本がもうワンカット撮っておいた方が良いと言うので、屋根裏へ上がる階段に彼を座らせ、その両脇に映画用の照明器具を入れた写真も撮った。それはそれで一目で映画人らしい写真になっていたが、彼のもつナイーブさを表現するには正面からどんと撮った方が良いと思った。
 後日、写真を編集部に納めた後に寺本が電話があった。階段に座っているカットを使いたいと言うのだ。僕は反対した。正面から撮った方が彼らしいと主張したが、その1枚では彼が映画と関係していることを表ししていないというのだった。僕は本文を読めばわかると言ったが聞き入れてもらえなかった。僕は正面から撮った時、カチンコを持たせなかったことを後悔した。
 編集者として寺本の判断は正しかった。しかし、それが分かったのはそれからだいぶたってからだ。結局、雑誌やコマーシャルでは写真は添え物にすぎない。たとえ、写真が主役に見える使われ方だとしてもだ。その後も自分の撮りたいものを撮ることを心がけたが、サブとして編集者の意図するカットを撮ることにした。結局、そのサブのカットが掲載されることが多かった。
 
 それから十年が経った頃、僕の信念が報われる時が来た。僕は創刊百年を迎えた婦人雑誌の連載の仕事を持っていた。保守的な雑誌だったから写真もそれにふさわしいクオリティが求められていたし、写真の使われ方も大きく丁寧だった。その日の撮影は著名な画家の撮影だった。僕はいつものように、まずはストレートに撮ろうとした。巨大なアトリエの外に広いテラスがあって、そこはうっそうとした木々に覆われて、世田谷とは到底思えない景色があった。そこで撮りたいと無性に思ったのだった。画家とどんと対峙して撮りたい衝動にかられたのだった。画家のアトリエまで来て、目の前にある彼の作品やアトリエを無視して別の場所で撮ろうという僕を編集者の平田さんは許してくれた。彼はいつでも僕の撮りたいカットを撮らせてくれる人だった。

「すいませんが、ベランダの緑を見ていたら、そこへ立っている先生を撮ってみたいと思ったのですが、いかがでしょう」
「・・・ふん」
「だめでしょうか」と僕が言うと、編集者の平田さんが続いてフォローした。
「先生、やはり先生の作品を背景に撮りましょうか・・・」
「いや、ベランダでいいんだよ」
「本当ですか!」僕は小躍りした。
「これまでにいっぱい取材を受け、いっぱい写真を撮られているけどね、日本人のカメラマンはみんな僕の絵を背景に撮りたがるんだ。ニューヨークやパリから取材に来るカメラマンはそんな撮り方はしない。君のように、自分の撮りたいところで撮るんだよ。そのベランダで撮りたがるんだよ。僕をね、、、」
 と巨匠は大きくてまん丸で見たこともないぐらい澄んだ瞳で僕たちに言ったのだった。僕にとってこれ以上の褒め言葉はなかった。

 再び話は1992年にの若者情報誌に戻る。この若者情報誌は隔週発売で、このページの写真は僕ともう一人のカメラマンが交互に担当していた。僕は少しでも多くの撮影をするためにあることを思いついたのだった。

(つづく)

1992年4月頃・決意後九ヶ月ほど経過した頃、、

□ここに出て来た監督を目指す若者は映画監督の矢口史靖氏。画家は横尾忠則氏です。
□2009.12.19にこのブログにアップした、オールガールより1993.12*yuriko、、モデルのyurikoさんは後に矢口史靖さんの映画で衣装のお手伝いをしていたと記憶しています。
□書き方として時系列が前後することもあります。今後も僕の経験を書いていきます。皆さんが楽しんで頂けると嬉しいです。参考になると嬉しいです。(なるはずない?)でも拍手をお願いします。
2009-12-31 : 『突然プロカメラマンになる方法』 : コメント : 0 :

デパガ


1996*六本木アートスタジオ
デパートガール、、懐かしいです。とにかく楽しんで作ったのですが、お金もかかりました。当時はTVのトゥナイトや雑誌ではアンアンにも紹介されました。


2009-12-29 : デパートガール : コメント : 0 :

『突然プロカメラマンになる方法』(16)モノクロ・・・3

~魚返一真の自伝的小説~

 編集者の寺本と作家の高見と別れた僕はすぐに新宿の城之内カラーへ向かった。もちろん、受付の森昌枝に事態を説明して、アドバイスをもらうためだった。しかし、その日は受付がとても混んでいて、なかなか森昌枝と話ができなかった。しかたなく僕は城之内カラーを出て、店のすぐ外の公衆電話から城之内カラーのカウンターへ電話した。

「もしもし、城之内カラーです」
「あっ、すいませんが、森さんをお願いします」
「ちょっとお待ちください」

 僕は相当焦っていた。明日中にモノクロプリントを編集部に納めなくてはならないからだ。家に帰って自分でやる手もあるが、暗室を持たないから、暗くしたキッチンでの作業になる。したがって明朝の夜明けがタイムリミットになってしまう。通常の場合モノクロは、まず最初にフィルムを現像して、そのフィルムの全コマを1枚の印画紙に焼き付ける、いわゆるコンタクト(密着)を作り、それを見てどのカットをプリントするか選ぶ。選んだカットは、様々な暗室テクニックを使って印画紙に露光し、現像、定着、水洗とすすみ最後に乾燥して出来上がり。明朝までやるのは無理だった。しかも、まだフィルムの現像だってこれからなのだから。

「はい、森です」
「魚返です。ほら、このまえフィルムこととか教えておもらった・・・覚えてる?」
「ああ、魚返さんですね。今日は何か?」
「撮影済のモノクロフィルムがあるんだけど、明日中に納めなくちゃなんないんだ。何とかなるかなあ」
「お納めなさるのは、プリントですよね?」
「そう、モノクロプリントなんだ」
「まず、フィルムを現像してコンタクトを作らないといけませんね」
「ああ、そうだね。現像とコンタクトを発注したらどれぐらいの時間でできる?」
「そうですね、、急いでも明日の午後とか、、、」
「それじゃあダメだよ!間に合わない」
「現像だけなら、今日中にできますが、ネガを見てセレクトできないですよね」
「う~ん、出来ない、、、待てよ、使うカットは1カットだけだし、セレクトは可能だけど、、、」

 僕がセレクト可能だと思ったのは、スケボーの葛西くんが一番高いところにいるヤツを選べば良いからだ。36枚撮ったものの、葛西くんが壁に激突した驚きから、シャッターを押し続けていただけで、使うのはそのカットだけだった。

「では、本日中にフィルムを現像して、そのネガを見て1枚だけセレクトしていただいて、そのカットで数パターンのプリントをしたらどうでしょう。プリントは明日の正午にできます。その中で良いものを納品するという感じで、、、」
「いいねえ!それで行こう。ところでフィフムの現像は何時間で出来る?」
「至急便でやらせれば3時間ぐらいです。9時にはプリントを工場へ発注したいので、6時には当社のカウンターまで持って来て頂ければ大丈夫です。と言っても、あと二十分しかありませんが、、」
「よっしゃ!」
 
 僕は電話ボックスを飛び出して城之内カラーのドアを開け、客たちをかき分け森昌枝のいるカウンターの上にモノクロフィルムのトライXを1本置いた。まだ僕との応対中だった森昌枝はまだ電話の受話器を耳にあてたままだった。

「あら、魚返さん、、、」
「そう、外にいたんだよ。それより、早くこれを工場へ届けて」
「わかりました。すぐにやります。お仕事大丈夫そうで良かったですね」
「ああ、ちゃんと写っていればね・・・」
  
 三時間後、現像済のネガフィルムを見ると、かっこ良く宙に浮いた葛西くんがばっちり写っていた。僕は葛西くんが一番高い位置まで上がったカットを選んで、三種類のプリントを注文した。翌日の午後、僕は三種類のうちの1枚を無事に編集部へ写真を納めることができたのだった。最初の仕事で結果を出すことができたのは運が良かったからだと思う。ウメ屋の浜地君のアドバイスどおりのストロボを買ったことも大正解だったし、城之内カラーの森昌枝の機転にも助けられた。
 こうして僕は念願だったモノクロの連載の仕事をもらうことに成功した。今でもこの撮影のことを思い出すたびに冷や汗が出る。良くもまあ、こんな綱渡りをしたものだと思うけれど、誰にも習った経験のない僕にはそうするしか方法がなかったし、この先もずっとぎりぎりの撮影をして行くことになるのだった。
(つづく)

1991年11月頃・決意後四ヶ月ほど経過した頃、、

□書き方として時間が前後することもあります。今後も僕の経験を書いていきます。皆さんの参考になると嬉しいです。(なるはずない?)でも拍手をお願いします。
2009-12-27 : 『突然プロカメラマンになる方法』 : コメント : 2 :

「ゆいの笑顔でほのぼの」


2009.12.26*ゆい--JR中央線東小金井/ケータイで撮影

 小春日和の東京の午後。東小金井駅、12時40分。「こんにちは」ゆいとの初対面、いきなり彼女からとびきりの笑顔をもらった。ついさっき駅へ向かう車の中で、ゴンチチがDJをしているラジオ番組を聞いてほのぼのしていた心がゆいと会ってもっとほのぼのした。時おり発するゆいの関西なまりが僕の鼓膜をくすぐる。「いいねえ、その言葉。どこ出身なの?」遠く西からの風に乗って僕の前に出現したゆい。今日のところはとりあえず会って、最初の印象が撮れたらそれでいいと思ってたけど、ゆいに会って何かが始まった気がする。「女子高生の制服を着てくれない?」「でも、私の通っていた高校は私服だったんです。それに、私で大丈夫ですか」何度も何度も押し寄せるゆいの笑顔。ゆいの笑顔だったら嫌みなぐらいしつこい笑顔攻撃だって大歓迎だ。
 撮影が終ってそれぞれ上りと下りの電車に乗ってさようなら。車に戻った僕は、またラジオをつけてゴンチチの続きを聞きながらゆいの笑顔を思い出して、またほのぼのしたのだった。

□ゆいさんはモデルに応募してくれた女の子です。
□作品は後日アップします。
2009-12-26 : PLATFORM : コメント : 0 :

オールガールより




1995.3*masako/コンタックスRTS3/プラナー50mm
もう一度このころの僕に戻ってカメラを持ちたいと思う。だけど、RTS3は重いなあ。せめてRTS1でと思っているところだ。ポジフィルムかあ、、、考えてしまう。モノクロにするか、、しばらくは苦悩が続くのか。
2009-12-24 : オールガール : コメント : 0 :

オールガールより


1994.12*rei
カメラマン志望の彼女、今どうしているだろう。
ちょっとの間だったけど僕のアシスタントを手伝ってもらっていた。
彼女の持っているのは僕のコンタックスRTS1。
僕は今、このカメラで作品を撮ろうと考えているところだ。
2009-12-23 : オールガール : コメント : 0 :

オールガールより


1992.9*chinami
初期の頃は模索している感じがありますが、今観るとなかなか面白い作品を撮っていました。今では絶対に使わないレフやゼラチンフィルターなど多用していました。
2009-12-22 : オールガール : コメント : 0 :

放課後カメラ 9・・・写真


2009.12.13*kaori
放課後カメラ9の1枚です。他の作品もGalleryへアップしています。
2009-12-21 : 放課後カメラ : コメント : 0 :

『突然プロカメラマンになる方法』(15)モノクロ・・・2

~魚返一真の自伝的小説~

 室内で動くものを撮る。つまり、ストロボ撮影は避けられない。コンタックスRTS3は秒間5コマの撮影が可能だが、それに対応する数だけ発光できるストロボはあるのだろうか。僕はウメ屋へ行った。もちろん浜地くんにアドバイスをもらうためだ。

「あのさあ、、スケボーの兄ちゃんが空中に浮かんでいるところを秒間5コマでストロボ発光させて撮りたいんだよ。そんなストロボある?」
「ありますよ。ちょっとでかいですが、、」と言ってショーウィンドーから運動会のリレーのバトンの先に大きな電球をくっつけたような、そんなかっこ悪いストロボを出して来た。
「ぎゃ~、それなの?ひどいデザインだねえ」
「でも、これならお客様のおっしゃる用途で結果を出してくれると思います」
「それにしても・・・」
「お客様は、撮影結果が一番大切なのではありませんか」
「そうだけど、、じゃあそれにするか。幾ら?」
「6万円です」
「ゲッ、高い!」
「そうなんですよ。コンタックスは何でも高いんです」
「・・・」
「他社のもので代用できないことはありませんが、万が一という場合を考えるとおやめになった方が良いかと」
「じゃあ、それにするよ」
「あの、もう一つ悪いことが、、ストロボ本体とは別にバッテリーパックが必要なんです。それがないと充電が間に合わず秒間5コマで発光できない可能性があるんです。もちろん、お客様が明るい絞りでお撮りになるなら大丈夫ですが、おそらくその撮影だとF5.6は最低でも欲しいですよね。そうでないとピントが心配ですね。フィルムをISO400のトライXを使うとしてもF5.6で秒間5コマ発光するにはどうしても別売のバッテリーパックが必要ですねえ、、、」と言って浜地が出したのは黒い弁当箱に肩掛け紐を付けたようなえげつないものだった。

「でかいストロボをカメラにくっつけた上に、さらにこんな箱を肩からぶら下げて撮影するの?」
「はい、そうなります」

 僕はそのバカ高くてかっこ悪いストロボを買った。様々な状況を考慮すると、ISO400のフィルムの場合、シャッター速度125分の1で発光させて、絞りは5.6だ。僕は何度も何度もテストした。と言っても、畳の部屋に寝転がって枕を投げてそれをフィルムの入っていないカメラで撮るという程度。

 取材当日、僕はスケボー場の前で初めて編集者の寺本と作家の高見直樹さんに会った。

「やあやあ寺本です。巨匠!バッチリお願いしますよ。こちらが作家の高見さん」
「高見です。よろしく」
「魚返です。どうぞよろしくお願いします。なにせ、こういうのは初めてなもんで、どうなることやら」
「あはは、ご冗談を、、モノクロの巨匠。噂は聞いていますよ。お上手なんでしょ?」と寺本が囃し立てた。
「本当に、本当に、こんな撮影初めてなんで手が震えています」
「またまた、、面白いこと言って・・・」と寺本は上機嫌だった。つまり、僕が不安がっているのを、余裕で冗談を言っていると勘違いしているのだ。
「あの、高見さん、お仕事をご一緒できる最初で最後になるかもしれませんが、よろしくお願いします」
「あはは、またまた巨匠ったら、、ご冗談を」

 スケボー場は体育館の中にあった。暗い。ここは競技場ではないから、明るく華やかである必要はないのだろう。真ん中にバンクがあった。バンクをすべり上がったところを撮ればいい。それなら何とかなりそうだった。若いスケボープレーヤーの葛西と初対面の挨拶をした。ここでも寺本は僕のことを巨匠と紹介した。

「最初に撮っちゃいますか。彼の演技を見てからインタビューをした方がいいでしょう。どうですか、高見さん」
「そうだね、その方が話が聞きやすいかもね」
「じゃあ、巨匠。お願いします」
 寺本は一人でどんどん話を進めた。さすがにベテラン編集者はぬかりがない。
「じゃあ、バンクを上がっているところを撮りましょう」と僕が想定した撮影に持ち込もうとした時、、、
「あのォ、、僕は大技をやりたいんですが」と葛西が余計なことを言った。
「大技!それそれ、それですよ。大技をお願いしちゃいましょう」と寺本が同調した。僕はずっとバンクで撮ることしかイメージしていないからそれ以外のパターンは遠慮願いたかったのだが。
「大技は、そっちの上りのスロープから飛んで下りのスロープに着地するものです」
「いいねえ。巨匠、それで行っちゃいましょうよ。高見さんはどう思いますか」
「空中に飛んでる葛西くんが撮れたら最高だね」
「決まり!」

 上りのスロープと下りのスロープの間は5メートルほど空いていて高さは2メートル。どうやら僕はその空いたスペースでカメラを構えることになる。猛スピードで飛ぶ葛西にピントなんて合わせている暇はないだろう。僕は置きピンで行くことにした。プラナー50mmの焦点距離を3メートルに合わせ、ストロボのスイッチを入れた。

「じゃあ、いきなり本番行ってみよう!」と寺本が大声で言った。僕はカメラを構えた。葛西は体育館の一番端っこから勢いをつけてスロープに入った。そして飛んだ。僕は夢中でシャッターを押し続けた。シャシャシャシャシャ、、、、。葛西は僕の真上を通過した。ファインダーの中の葛西はまるでムササビのようだった。そして一瞬僕と眼が合った。つまり葛西はレンズの方を見た。僕はむかしアサカメで見た動物写真家の宮崎学の撮ったムササビの写真を思い出した。その写真は僕の憧れだったから良く覚えているが、闇夜を飛ぶムササビをストロボを発光させて撮ったものだった。
「ああ!」寺本と高見が声を上げた。僕は一瞬何が起こったか分からないままフイルムが終わるまで7秒間シャッターを押し続けていた。葛西が空中でカメラ目線を演じた瞬間に何らかの誤算が生じたのだろう。葛西は下りのスロープに達せず壁に激突したのだった。

「葛西くん、大丈夫?」と寺本が倒れた葛西に駆け寄った。
「ええ、まあ」葛西はかなり痛そうだった。
「じゃあ、演技は中止してインタビューにしましょうか」
 幸い葛西の怪我は軽かった。しかし、もう一度滑れる状態でもなかった。
「でも、撮影がまだ・・・」
「大丈夫ですよ、本日のカメラマンは巨匠ですから!一発で決まってますよ」

 結局、撮影はその7秒間だけで終わった。インタビューが終わった帰り道。
「さすが巨匠。あれを決めるんだから・・・」と寺本は撮れていると信じきっている。
「あのォ、撮れていないかもですよ」
「あはは、巨匠は冗談がお好きです」
 開き直った僕は冗談(?)を連発した。もうそれしかなかった。
「実は僕はカメラマンになってまだ四ヶ月なんですよ」
「あはは、巨匠、ご冗談を・・・」
「このカメラも60回ローンで買ったばかりなんですよ」
「またまた、巨匠、ご冗談を・・・」
「ストロボなんてのは先週ウメ屋で買って使い方を店員に習ったばかりですよ」
「はいはい巨匠、わかりましたよ、高見さん、魚返巨匠の印象はどうですか?」
「取材が楽しくなっちゃいます。ちゃんと撮れていれば、これから先ずっと巨匠にお願いしてもいい感じですねぇ」
「とにかく巨匠。上がりを楽しみにしてますよ」
「それで、納期は何時ですか?」
「明日の夕方でどうですか?」
 一瞬凍り付いた。明日?一週間はあると思っていた。ゆっくりプリントをやれば良いと思っていたのに・・・。しかもちゃんと撮れているかさえ分からない。あ~憂鬱。

(つづく)

1991年11月頃・決意後四ヶ月ほど経過した頃、、

□書き方として時間が前後することもあります。今後も僕の経験を書いていきます。皆さんの参考になると嬉しいです。(なるはずない?)でも拍手をお願いします。
2009-12-21 : 『突然プロカメラマンになる方法』 : コメント : 0 :

オールガールより

以前は彼女たちの部屋へ訪問することが多かった。
□1993.11*saori(上)、、1993.12*miki


2009-12-20 : オールガール : コメント : 0 :

オールガールより



1993.12*yuriko

当時はハッセルを多用していた。そしてフジのベルビア。16年前の作品だけど色あせない輝きがある。塾の最後の方はハッセルを使う人が増えた。ずっと使い続けて欲しい。今は高感度(ISO400とか)の良いフィルムが増えたからハッセルも使いやすいと思う。ベルビアはISO50と表示されていたけど、実効感度は32以下だった。僕はベルビアを四倍に増感して使っていた。つまり、ISO200として使用していた。実効感度は128だったけど、、、

彼女は大学を出てからスタイリストになったから彼女のファッションは決まっている。。だが、、現在の女の子のファッションとはかなり違っている。特にヘアバンド。これが流行った頃があった。懐かしい。

□ハッセルブラッド503CX+プラナー80mm Fuji velvia
2009-12-19 : オールガール : コメント : 0 :

オールガールより



『朝顔』1994.3*Mizuho

□1996年に出版した「オールガール」に収録したカットを整理している。
1992年から女の子を撮りはじめ、四年間に撮った作品が入っているが、見返すとなかなか手が込んでいる。初心忘るべからずか、、、
□Flicrに登録したカット数が350カットを超えた。是非ごらんください。こちら→Gallery
2009-12-17 : オールガール : コメント : 0 :

『突然プロカメラマンになる方法』(14)モノクロ・・・1

~魚返一真の自伝的小説~

 僕が少年の頃撮っていたのはほとんどモノクロ写真だったから、雑誌でも人物のモノクロ写真を大きく使っているページが気になっていた。仕事で編集者に会うたびに、モノクロ写真をやりたいと口にした。すると、チャンスは意外に早くやってきた。大手出版の男性情報誌の編集者の寺本から電話があった。
「初めまして、寺本と言います。撮影をお願いします。巻頭の『彼らのスタイル』という連載の写真です」
「はい!ありがとうございます」
 僕が最もやりたいと思っていたものの一つだったので驚いたし、とてもうれしかった。そのページは、大きめの写真1枚と作家の文章からなる単純な構成で、タイトルは『彼らのスタイル』。ちょっと変わった生き方をしている若者を2ページで紹介していた。


「インタビューと撮影を同じ日にやります」
「それで、撮影するのはどんな人物ですか?」
「今回はスケボーのプロを目指している若者です。どんな写真にするかは魚返さんにお任せします。いずれにしても当日現場で考えてください」
「はい、わかりました。たしかこのページはモノクロ写真だと思ったのですが」
「はい、そうです。かっこ良くばっちり決まったモノクロでお願いします」
「モノクロには自信があるのでやりがいがあります。ところで寺本さんはどうして僕にこの仕事をくださったのですか?」
「例の女の子班の編集者から魚返さんはモノクロが得意だと聞いたもので・・・」
「そうですか、ありがとうございます。きっと良い写真を撮ってみせます」
「期待していますよ」

 電話を切ったあと、うれしくて飛び上がった。モノクロが得意だと口にして来たのが実を結んだ。得意と言っても、中学の時にSLの写真を焼いた程度の経験しかなかったのだが・・。モノクロの仕事を受けた時のために、自分でモノクロの焼付け作業を始めていたが、マンションの台所に引き延ばし機を出して、夜中にちょちょっとやっていた程度ではクオリティは低かった。
 スケボーの若者が被写体だというのも問題。スケボーを持って笑っているようなありふれた写真など撮っても次の仕事はないだろうと思った。自分にとっては大きなチャンスだ。しかし、結果が悪ければこの雑誌からはさよなら。この仕事は最初で最後のつもりで臨まなければならない。
 翌日、編集者の寺本から電話があった。取材は一週間後でインタビュアーは作家の高見直樹さんとのことだった。また会場は江東区にあるスケボー場。どうも屋内のようだった。僕はいよいよ焦って来たと同時にはやる気持ちも湧いて来た。
 頭の中はスケボーのことでいっぱいになった。実は一度だけスケボーを経験したことがある。
 1980年頃、僕は毎年のように伊豆七島の式根島という小さな島でバイトしていた。真夏はもちろん、夏の商売の準備のために梅雨前から行っていたこともあった。ディスコが流行ればディスコ会場を作り、ペンションが流行ればシチリア風のペンションを建てた。そのペンションのらせん階段やトイレやベランダの手すりなど僕が作った。鉄筋も長い鉄の棒を切ったり曲げたりして作って組んだ。もちろん僕一人で作ったのではないが、実際に僕が作ったとはっきり言える場所も多くあった。夏になって島に客がたくさん押し掛けてきてディズコもペンションも大にぎわい。三階建てのペンションの屋上はビヤガーデンになった。酔っぱらった客が屋上の手すりに寄りかかるたびに、僕は心臓がバクバクした。「手すりよ、お願いだから持ちこたえてくれ、、、」それから十数年経ったある日、伊豆七島が大きな地震に見舞われた。新聞記事によると、式根島の被害は立入禁止になった建物が一軒、とあった。なんとその建物とは僕たちが建てた三階建てのシチリア風ペンションだったのだ。
 ある年の夏、僕は式根島にスケボーのバンクを作った。正確に言えば、スケボーのバンクではなく、ローラースケートのバンクだった。いざ営業を開始すると、スケボーの客とローラーの客が入り乱れた。スケボーの上手い若者が来てバンクをかっこ良く滑った。彼が僕たちに言った言葉を思い出した。
「もっとでかいバンクを作ってくださいよ、そしたら勢いがつくからバンクが途切れても体はさらに上まで上がってカッコいいんだよ」
 僕はそれを撮りたいと思った。若者がスケボーといっしょに空中に浮いているところ、、。ちなみに、僕は自分たちが作ったスケボーのバンクでスケボー初体験した。鈍い僕はもちろん転んであちこち擦りむいた。

(つづく)

1991年11月頃・決意後四ヶ月ほど経過した頃、、

□書き方として時間が前後することもあります。今後も僕の経験を書いていきます。皆さんの参考になると嬉しいです。(なるはずない?)でも拍手をお願いします。
2009-12-16 : 『突然プロカメラマンになる方法』 : コメント : 0 :

放課後カメラ9*かおり・・・2009.12.13



 かおりに出会ったのは一月半ほど前のことだ。柔らかい雰囲気の子だった。彼女の中の何もかもがゆっくりで、いつのまにか忘れ去られてしまいそうな子だけど、それがかえって印象深かった。僕はそんな彼女の放課後がどんなものか知りたいと思った。

 かおりが好きだというイチゴを買って、四回のエレベータの前で待っている。三基あるうちのどれにかおりが乗って来るかあてっこすることにした。僕は真ん中を選んだ。しかし、かおりが乗ってきたのは右のエレベーターで、ささやかな僕のゲームは空振りに終わった。かおりは僕を見つけるとたった5メートルを小走りで近づいてきて「すいません」と言った。時間通りに来たのに僕に謝った。待てよ、正確に言えば二分遅れている。彼女にとって二分でも遅れれば遅刻なのか。きっと優しい子なんだろうと思った。 
 かおりが着替えたのは中学生の時のセーラー服。ずっと体型が変わっていないのだという。
「セーラー服、似合っているね。とっても」
「そうですか。良かった。フフッ」

 車に乗って公園へやってきた。そして、いつもの撮影場所の切り株までとぼとぼ歩く。今日は昼過ぎまで晴れる予報だったけど、まだ昼前なのに曇ってしまっている。
「寒いね。大丈夫?」
「はい。大丈夫です。ホホッ」

 かおりは時おりフフッとかホホッと笑う。その笑いに対して最初は違和感があったのだが、次第に慣れてむしろフフッやホホッが僕たちの会話をつないで緊張を和らげていることに気付いた。僕たちの間には年齢の開きがあるから会話が成立しづらい面があるのは当然だ。しかし、かおりは上手に僕との関係を取り持っている気がする。フフッやホホッはマンガの吹き出しと同じ役割をしている。入るタイミングは絶妙であり、フフッやホホッはそれ自体が独立したセリフになっていて、その場面において必要なのだ。
 そのせいか、かおりといるとメルヘンの世界にいるようで、何だか自分自身が中世的(草食系)に思えてくる。かおりの好みも当然そういう男子に違いない。

「どんな男の子が好みなの?」
「私は、変わっていると言われるんですが、青白い弱々しい男子が好きなんです」
「なるほど、、もしかして君は子供のころ縫いぐるみに囲まれて育った?」
「どうしてですか?」
「だって、メルヘンのにおいがするもの」
「実は今でも縫いぐるみに囲まれています。フフッ、ホホッ」


 かおりは真面目な子だ。それは僕のちょっとした探りでわかる。
「キスもしたことないでしょう」
「えっと、、、」
「まだバージンだよね」
「、、、、」
「僕と付き合ってよ」
「だめ!」
 冗談も言えないのだった。

 かおりにイチゴを持たせた。そしてスカートを上げるように言った。かおりにしては思い切りスカートを上げているのだが、実際は3ミリぐらいしか上がっていない。それでも、恥ずかしそうにするかおりを撮った。僕はなぜかドキドキした。

「春になったら夏服で撮らせてよ」
「はい」
「思い切りメルヘンな写真を撮ろう」
「はい!フフッ、ホホッ」
 
 かおりは僕の作風まで変えてしまいかねないほどメルヘンな子なのです。

□この作品をご覧になりたい方は拍手をお願いします。
2009-12-13 : 放課後カメラ : コメント : 0 :

妄想少年物語(7)天井裏の話

 同じクラスの小野寺が転校することになった。とてもおとなしくて性格の良い男子だった。僕たちは彼の最後を飾ってあげようと、のぞきの特等席に招待することにした。しかし、問題はその特等席にはまだ誰も行ったことがないことだった。おとなしい小野寺で大丈夫か、大柄な小野寺で大丈夫か?という不安が僕たちにあったが、彼の運を信じて実行することにした。
 特等席は天井裏にあった。ある男子が教室の机の上に椅子を載せてその椅子に立って天井に穴を空けた。 穴の場所は黒板に向かって左前方の角。教室の角にカーテンが張ってあり、その中で女子たちが着替えるのだ。体育の授業は2クラス合同だったので、男子が1組で女子が2組の教室とそれぞれ別れて着替えるからカーテンは不要に思える。しかし、女子たちにとって複雑だったり少し問題のある難しい着替えの時はこのカーテンの中で着替えるのだ。たぶん。

「小野寺、やれるか?」
「魚返、本当に大丈夫なんか?」
「何が?」
「見つかったりせんかねぇ?」
「なんで見つかるんか?小野寺はずっと天井裏じゃきね、女子たちからは見れんばい。誰も気がつかんよ」
「そうじゃのぉ~」

 いよいよ体育の授業前の休み時間になった。僕たちは速攻で着替えて、小野寺を1組と2組の教室の中間あたりの廊下の天井にある電気工事用(?)の四角い入り口から天井裏へのぼらせるために、教室から机と椅子を持ってきてピラミッドのように組み上げた。

「さあ行きよっ、小野寺がんばれ!」
 と言って小野寺を机と椅子のピラミッドに上らせた。小野寺は天井の四角い蓋を開けてその中へ入った。そして、四角い窓からひょいと顔を出してにっこり笑った。しかし、極度の緊張から小野寺の顔は完全に引きつっていた。
 僕たちは天井を見上げて小野寺の位置を予測した。着替え終わった女子がぼちぼち2組の教室から出て来て、天井を見上げる僕たちを不思議そうに横目で見ながら下駄箱の方へ立ち去って行く。さらに女子たちがどんどん出てきて、もう2組の教室には数人の女子しか残っていないだろう。小野寺が消えて五分ほどたった頃だ。2組の教室の中でドスンという音がした。つづいて女子の悲鳴が上がった。「キャ~!」僕たちは2組の戸の前で天井を見上げながらかたずを飲んだ。女子が出てきた時、開いた戸の向こう側に唖然とする光景があった。何と、小野寺が天井からぶら下がっていたのだ。僕たちは2組の教室に飛び込んだ。
 ぶら下がった小野寺の真下の床には天井の板が落ちている。小野寺は暗い天井裏でうっかり張り板のない薄い天井板の上に乗ってしまったのだ。小野寺は大柄だったから薄い天井板に乗ってしまえば落ちるのは当然だった。小野寺は体操の吊り輪の演技のように見事に静止している。すでに体育着に着替えていたからまさに体操の選手みたいだった。ただ違うのは、小野寺が顔を真っ赤になっていることと、「たすけて~」と叫んでいることだった。
 僕たちは大急ぎでピラミットを組んで小野寺を助けた。僕たちが途方にくれているとき、ビンタ教師の岩城が教室に入ってきた。女子が告げ口したな、と思った。でも考えてみれば、これは告げ口というレベルではなく、事件を報告したにすぎないのかもしれない。女子の更衣中に男子が天井から降ってきたんだからこれは完全に事件だろう。

「おマエら、、なにしちょんね?」怖いくらい優しくしかも笑顔で岩城が言った。
「はい、小野寺が天井に穴を見つけて、それをふさごうとして天井裏に上がって、板に手を掛けたところ、うっかりして板といっしょに落下しました」と僕が言い訳をした。
「わかった。怪我はねえか。体育の授業が始まるぞ。早くグランドに出らんね」
 岩城は嘘とわかっていながら僕たちを許した。放課後、僕たちはまた2組の教室にピラミッドを作って、落ちた天井板をもとの場所に無造作に釘で打ち付けた。下から見るとその場所だけ板がボロボロになっていて、永遠にき事件の跡が残ってしまった。

 そして小野寺は転校してしまった。僕は天井を見るたびに小野寺の姿を思い出す。何だか小野寺に悪いことをしたなと思った。岩城が僕たちを許したこともちょっと気になっていた。2年生になったら少しは岩城のいうことも聞いて真面目な中学生になろうと思ったが、岩城は新1年生の担任になり僕たち新2年生の担任にはならなかった。 

(づつく)

□時代が前後することもあります。よろしく。
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2009-12-10 : 『妄想少年ものがたり』 : コメント : 0 :

放課後カメラ5・続編*作品

放課後カメラ5・mika/続編の写真を二枚アップします。。



2009-12-08 : 放課後カメラ : コメント : 0 :

放課後カメラ8*理乃・・写真+演劇

放課後カメラ8の写真を三枚アップします。他にもたくさん良いカットがありますがそれは近日発信される「放課後カメラ」携帯サイト版にて。。


中島理乃ちゃん出演の演劇も是非どうぞ。
このブログを観ている人にも演劇ファンがいるようですね。是非行ってみてください。
(ますださん、SGさん、いとうさん、堀内さん、その他、、是非是非)

オスカーワイルド著
「幸福な王子」 / 『Yosuka』公演
作・演出*長堀博士(楽園王+)
劇場*遊空間がざびぃ
2009.12.19(sat)~2009.12.23(wed)
タイムテーブル*
19日(土)14時~、18時~
20日(日)14時~、18時~
21日(月)19時30分~
22日(火)19時30分~
23日(水)13時~、17時~
チケット*
前売り 2500円
当日 2800円

予約フォーム→こちら
2009-12-07 : 放課後カメラ : コメント : 2 :

妄想少年物語(6)床下の話

 二学期になったある日のこと。放課後のグランドで僕は岩城に呼び止められた。
「魚返、今度の土曜日の晩、オレは宿直で学校に泊まるからお前も来い。泊まれ。いっしょにすき焼きを食おう」
 僕はその言葉を聞いてばからしくなった。岩城はまるで熱血教師(今風に言えば、世直し先生)気取りでうさん臭いと思った。僕を何とか更正させようというつもりだろう。岩城は教師という仕事に熱心なんだろうけど、すき焼きを一緒に食べて一晩泊まったぐらいで教師と打ち解けあえるもの?有馬さんのスカートをめくっただけで、僕はすっかりワルのレッテルを貼られたようだ。
「あのォ、先生と泊まるのは遠慮しちょきます」
「いいから泊まれ。待っちょるぞ。絶対に来いよ。両親にはオレから言っておくから」
 僕が岩城の言葉を無視したのは言うまでもない。

 覗きが流行した。数人の男子が教室の床下にもぐり、女の子の席の下にキリで小さな穴を開けた。休み時間になると床下の穴の下で場所のとりっこをしていた。僕も誘われて床下にもぐって穴を覗いたけれど、真上を向く姿勢は首が90度も折れてしんどいし、眼にゴミが入るのでやめた。ただ、好きな女の子の椅子の下に穴を開けられてしまったのを見た時は、かなり複雑な気分だった。
 事件が起きた。ある日の休み時間。教室で女子たちがキャーキャー言っている。
「ここに穴がある!誰かが床下におるよ!スカートん中を覗き見しよるんとちがう?あっ、床下で男子の声がする。ほら、見つかったとか、逃げろとか言ってる、、この声は魚返くん!魚返くんの声じゃあ!」
 一人の女子が廊下を猛スピードで走り去った。伊集院美子だ。日頃からおせっかいで、男子に注意ばかりする女子で、スカートめくりの時に僕のことを先生に言いつけた三熊と同じ言いつけ魔だった。僕の声を聞いたというのは伊集院美子の勘違いだ。でももう遅い。僕が騒ぎを聞いて教室に駆けつけた時は伊集院美子は先生に言いつけに走り去った後だったし、女子たちは僕がたった今床下から出て来たと思ったようだ。僕はトイレに行ってただけだった。なんでオレが言いつけられなきゃならないんだ。僕はまったくついてない。

 負のイメージは拭い去りがたいものなんだと思った。エッチな男子というレッテル。いっそのこと僕はそのイメージを楽しむことにした。

(つづく)
□伊集院美子さん。床下の声は僕ではありません。もちろん、床下にもぐって覗きをしたことはあります。でもその時あなたが聞いたのは僕の声ではありません。あほ!
□時代が前後します。よろしく。
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2009-12-05 : 『妄想少年ものがたり』 : コメント : 0 :

理乃ちゃん出演!





「放課後カメラ8」に出てくれた理乃ちゃんの出演する演劇が上演されます。

オスカーワイルド著
「幸福な王子」 / 『Yosuka』公演

作・演出*長堀博士(楽園王+)

劇場*遊空間がざびぃ
2009.12.19(sat)~2009.12.23(wed)

タイムテーブル*
19日(土)14時~、18時~
20日(日)14時~、18時~
21日(月)19時30分~
22日(火)19時30分~
23日(水)13時~、17時~


チケット*
前売り 2500円
当日 2800円

アクセス方法*
電車:JR中央線・総武線西荻窪駅北口より北銀座通りを徒歩12分
バス:バス亭「西荻北5丁目」
→西荻窪駅から荻窪・井荻方面へ二つ目
→上石神井駅から西荻窪駅方面

オスカーワイルド原作の童話、「幸福な王子」を元に、新たな作品として上演致します!

ご予約は、予約フォームから。。ご予約の際に出演者、関係者の中でお知り合いは?っていう質問で、「中島理乃」を必ず選択してくださいね。

予約フォーム→http://form1.fc2.com/form/?id=389221

2009-12-05 : 鉄道と彼女、 : コメント : 0 :

Gallery・・・

作品を随時Galleryにアップしています。
時々ごらんください。

Gallery→こちら

2009-12-05 : 未分類 : コメント : 0 :

『妄想少年ものがたり』(5)スーパーボールマシン・その2

 三熊が言いつけるという先生は僕の担任の岩城だろうと思った。岩城は同じクラスの菅田という男子に対してダブル往復ビンタを喰らわした先生だ。菅田は中学卒業後、同じ高校にも進んだし高校卒業後も飲み歩いたほど仲の良い友人だったから、僕はすぐに殴られた現場に駆けつけた。口から血を流した彼の顔を良く憶えている。菅田が殴られた理由は、掃除の時間にロシア民謡に合わせてほうきで野球の真似をしたという、ごく当たり前の行為が原因なのだ。ちなみに何かというとロシア民謡を流すのがその時代の学校らしかった。岩城は優しい顔つきをしているが瞬間湯沸器だ。怒ったらすぐに殴る。昭和四十年代前半は先生が生徒を殴ることは体罰ではなく教育の時代だった。

 やはり三熊は岩城に僕が有馬さんにスカートめくりしたことを言いつけた。教室で掃除の真似事をしていた僕のところへ岩城がやってきた。

「魚返!ここへ来い!オマエは有馬さんに何をしたんだ」
「えっと、、スカートを、、」
「スカートをめくったんだな!」
「はい」

 岩城は思い切り僕の左頬にビンタを決めた。僕の身体は右に大きく傾き、かぶっていた西鉄の野球帽がふっ飛んだ。さらに岩城は返す手で僕の右頬をビンタした。それを三回繰り返した。僕は口の中が切れた。それでも、多少だが手加減しているように感じた。何となくだが・・・。岩城の心の中に僕を殴ることへの弱みがあるのかもしれない。僕は殴られながら「有馬さんじゃなく、三熊じゃったら、あんたそんなに怒らんじゃろが!ひいきじゃ!」と心の中で叫んでいた。そんな態度が岩城に伝わったのか、岩城は一向にビンタをやめなかった。彼に一体何があったのだろう。きっと彼にとってスカートめくりは、自分も昔やりたくても出来なかったか、それとも有馬さんが好きだったか、のどっちかだろう。

 気づいた時、僕の前から岩城は消えていた。そして僕は泣いていた。ずっと泣いていた。友達が慰めてくれたけど、的外れだったから、がっかりしてまた泣いた。僕はその日の午後の授業は受けずに、校長室に正座させられた。教頭先生が「魚返くん、君はいったい何をしたんだね」と笑いながら近づいて来た。このバカ教頭!そんなこと今さら言えるか!と僕は思った。その後も次々に先生がやって来て同じように「何をしたんね?」と聞く。知ってるくせに、と思った。この経験のせいだろうか、誤解を恐れずに書くけど、食事を拒絶した市橋容疑者の気持が少しわかる。
 次の日の午前中も校長室に正座して、やっと岩城が僕を許した。

 それから数ヶ月後、一年生は高原にキャンプに行った。夜、酔っぱらったステテコ姿の岩城は女子のテントでトランプ占いをしていた。女の子たちに囲まれて有頂天。「ちょっとオシッコして来る」と女の子たちに告げてテントを出た岩城を僕と友人と後をつけた。女の子のテントからトイレまで小さな川沿いの小道を歩いて100メートルはある。途中、橋があって川と小道が交差している。僕は岩城が橋を渡る時にさっと近づいて、岩城の腰のあたりを横に突いた。酔っぱらった岩城はバランスを崩し小川に転落した。僕たちは引き返し女の子のテントの近くで岩城が戻るのを待った。戻って来た岩城は、「あはは、、川に落ちたんじゃあ」とずぶ濡れのステテコを両手で開いて女の子たちに言った。テントの中で女の子たちのキャーキャー言う声がした。岩城は僕が突き落としたとはわかっていないみたいだったが、ともあれ僕は、三ヶ月前、岩城にしこたま殴られたかたきを討ったのだった。

(つづく)

□岩城先生。1968年の夏、飯田高原で小川に突き落としたのは僕です。すっとしました。
□時代が前後します。よろしく。
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2009-12-03 : 『妄想少年ものがたり』 : コメント : 0 :

『妄想少年ものがたり』(4)スーパーボールマシン・その1

 中学に入ってからはどんどん出鱈目な男子になっていった。女の子に興味があっても曲がった表現しかできない屈折した男子になった。つまり、妄想少年としては順調な成長を遂げていたと言える。
 中学一年の時、クラスでスカートめくりが流行った。と言っても、数人の出来の悪い男子がおどけてスカートをめくる振りをしているに過ぎない。僕は、あんなもんはスパッと決めてしまわなければダメだと、その男子たちのやり方に不満を持っていた。見るに見かねた僕は、スカートめくりマシンを作ったのだった。
 材料はスーパーボールと輪ゴムだけだ。スーパーボールとは、地面に当てるととんでもなく跳ねるゴム製のボールで、一時期猛烈に流行った。その後、縁日などでスーパーボールすくいなるものが出ていた記憶がある。そのスーパーボールにキリで穴を開け、輪ゴムを通す。輪ゴムは長く編んで出来上がり。最後の輪を中指に通してヨーヨーみたいに使うのだ。僕は、スーパーボールをスカートを履いた女の子の真下の地面に力強く投げつけると、スーパーボールは跳ね上がり、一気にスカートを持ち上げるだろうと予測した。不安もある。跳ねたスーパーボールがお尻や太ももに当るかもしれないし、悪くするとオ◯◯コ直撃という悲劇さえあり得る。僕は家の中に服を吊るして何度も練習した。それこそ一晩中練習したのだった。

 いよいよ本番の時がやってきた。ある日の休み時間、学校の渡り廊下に数人の男子を集めた。
「いいね!今からスカートめくりする。よ~見とけちゃ」

 向こうから女の子がやって来た。有馬さんだった。僕はちょっとまずいかなと思った。有馬さんは学校で一番穏やかで無口な優等生。容姿だって細くて色白のお嬢様風だし、いきなり有馬さんのスカートをめくるのは気が引けた。あまりにも破廉恥だ。もう一人、やや遅れてやって来たのが、三熊という男顔負けのおてんば娘。よし、とばかりに僕は迷わず三熊に照準を合わせた。

「行くぞ!」
 と男子たちに合図して、二人をやり過ごした直後に三熊の真下の土間に向けてスーパーボールを思いっきり投げつけた。
「あっ!」
 スーパーボールは三熊の足元からイレギュラバウンドして、あろうことか有馬さんのスカートの中に入って行くのが見えた。
「きゃ!」
 有馬お嬢様のか細い悲鳴が廊下に鳴り響く。僕は慌てて輪ゴムを引っ張って手元に戻そうとした。スーパーボールのスピードを考えたら、引っ張ったところでもう手遅れに決まっている。いや、むしろ引っ張ったことで、有馬さんのスカートの中の奥深くにくい込んだスーパーボールは見事にスカートをひるがえしてしまった。
「ご、ご、ごめん」と僕は有馬さんに言った。
「・・・」有馬さんは何も答えず、顔を真っ赤にしてただ呆然と立っていた。
「うぉ~」
 と男子たちは一応に声を上げたあと、
「すげえ!天才発明家!もう一回!」
 などと囃し立てた。状況を理解しないまったく馬鹿どもなのだ。
「ああ、魚返くん、いけないんだぁ。言いつけるよ」
 と隣に立っていた三熊が言った。三熊は先生に言いつけるのが趣味みたいな女だった。つまり、スーパーボールが予定どおり三熊のスカートの中に入ったとしても、どちみち先生に言いつけるから同じ事だった。しかし、有馬さんのスカートの中と三熊のスカートの中とでは罪が違うのだ。僕はそう思った。
 僕にとって予期せぬ事態が起こった。さあ大ピンチ!

(つづく)

□1968年、僕は有馬さんのスカートをスーパーボールを使ってめくる悪戯をしました。本当にごめんなさい。学校で一番真面目で清楚な有馬さんにすべきことではありませんでした。この場を借りて有馬さんに謝罪いたします。
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2009-12-01 : 『妄想少年ものがたり』 : コメント : 0 :
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1992年より一般の女性をモデルに作品を撮り始める。2008年「鉄道と彼女」を発表した。
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