『レッドコート』・・・2010.1.30

 眼を刺すような刺激的な色が僕の視界に入り込んで来た。七(ナナ)が真っ赤なコートを着て約束の秋葉原2番線ホームに現れたのだ。その時、一斉に僕の周りの男たちの視線が七に釘付けになっているのが、何となく気配でわかった。そんな派手な人形が僕の方へ駆け寄って来たとき、ちょっと恥ずかしかったし、嬉しくもあった。
「お待たせしてしまって、、」と丁寧にお辞儀をした。しかし、待ち合わせ時間に遅れてしまったわけでもない。ジャストタイムに七はやって来たのだ。
「私の都合で秋葉原まで来て頂いて、、」と言葉を続けた。七はそんな心遣いのできる女なのだ。七の容姿は一緒に歩くの恥ずかしくなるほど派手で、そのうえ豊満な身体をしている。恥ずかしくなるというのは、目立つことが苦手な僕の印象で、実は多くの男はそんな七を連れていることを誇りに感じるだろう。
 人目をひくルックスと行きとどいた心遣いとの組み合わせが、七を色気のある日本女性のある種類の定番にしていた。その時僕は、この女の本性を撮りたいと思い始めていた。
「ちょっとそこに立ってみて、、」
「はい先生。こちらでよろしいでしょうか?」
「そう、そこでいいよ。でも先生と呼ぶのはやめてくれないかなあ」

 それから、僕たちは電車に乗り三つ先の駅で降りて、駅の近くに乱立するホテルのひとつへ無造作に入った。その部屋は雰囲気がいかがわしく、失礼かもしれないがそれが七に合っているように思えた。七は真っ赤なコートを脱ぐと、濃紺の半袖のミニのワンピース姿だった。その姿はとても色気があった。七を小さなソファーに座らせると、太ももにそっと両手を置いてかしこまって座った。僕はもうこれでいい、とカメラを構えてシャッターを押した。七の色気は今がピークだろうと直感したのだ。つまり、これから何が始まるのだろうという緊張感の中で七は渾身の清楚さで僕の妄想を跳ね除けようとしているのだった。僕は妄想し、またシャッターを押した。
 実は今日は七の浴衣姿を撮りたかったのだということを思い出した。しかし、僕はもうこれ以上魅力的な七は撮れないだろうと感じていた。ちょっと迷ったあと、、結局、、
「そろそろ浴衣に着替えていただきましょうか」と言った。
「はい。わかりました」と言って、七は洗面所へ消えて行った。

 やがて浴衣姿の七が僕の前に戻った。七に対して淡々とシャッターを押している自分が嫌になってきた。そういう時ほどたくさん撮る。それが僕の癖かもしれない。乗れない自分を悟られないように、、、。撮りながら、浴衣を着る前と後の写真について考えていた。いったい僕はどっちの写真が好きなんだろうか。七と僕の激しい感性のつぶし合いか、それとも浴衣というアイテムを得てある種の日本的説得力を持った写真の方なのか・・・。

「ありがとう。さようなら」
「先生、本当に今日は楽しかったです」
 七は最後まで僕を先生と呼んだ。僕たちは駅でそれぞれ逆方向の電車に乗り別れたのだった。

 僕は駒込で降りて『西尾中華そば』というラーメン店へ行った。見た目、味ともに繊細なラーメンを食べながら七のことを思い出していた。そのせいでもあるまいが、このラーメンの何と楚々とて色気のある味だろう。まるで日本女性のようだと思った。食べ終わって店を出る時、「またおいで下さい」と言った若い主人の清潔な顔を見て、はっと妄想から我に返り、「久しぶりにこんな美味いラーメンを食べたよ」と心の中で言ったのだった。


■作品は近日公開?
2010-01-31 : 2010新作 : コメント : 0 :

大阪から来たあさみちゃん・・・2010.1.26

風が強く寒い日だった。僕は井の頭線渋谷駅の近くで人と待ち合せしていた。ハンバーガーを食べながら歩く少女。風に吹かれて寒そう。

「こんにちは」と声をかけると、、
「はい」と明るい返事が返って来た。
「モデルをお願いしたいんです」
「え、わたしですか?でも私東京の子ではないんです」
「どこの子?」
「大阪です」
「どこの子でもいいんだよ」
「あ、そうですか」
「携帯で撮っていい?」
「はい」
「名前は?」
「あさみ、です」
「メールしてね」
「はい」

 明るくキュートな女の子でした。
2010-01-26 : スカウト : コメント : 0 :

『東京ガールズブラボー』・・・2010.1.24

 外は真冬でも窓ガラスに差している陽射しは春のような暖かさを部屋の中へ運んでいる。かすみはベッドの上で本を読んでいる。それは『東京ガールズブラボー』という1994年のマンガだった。

「君はそのマンガが好きなんだね」
「はい。昔よく読みました」
「どうしてそのマンガを持って来たの?」
「何となく、このマンガといっしょに写りたかったからかな」
「それだけ?」
「ほら、この本の表紙、ちょっとカラフルで良いでしょう」
「そうだね。。」
「どんなストーリー?」
「札幌から東京へやって来たサカエというオシャレでおバカな女の子と彼女を取り巻く少女たちの話です」
「そう、、、」

 きっとかすみは登場人物と自分をダブらせて読んでいるのだろうと僕は思った。
 僕はカメラを覗いた。全裸のかすみの白く美しい肌が冬の光にゆれている。僕はかすみの胸の真ん中にピントを合せシャッターを押した。

□作品は後日公開?
 
2010-01-24 : 2010新作 : コメント : 0 :

『凛子』・・・2010.1.10


凛子(ネコ)もmidoriの真似をして、前足で胸を隠しているように見える。
2010-01-22 : 2010新作 : コメント : 0 :

折鶴1・・・2010.1.12


去年の個展以降、新作を撮るにあたって僕が思っていることは原点に帰りたいということだった。それがどれだけ実現できたかはわからないが、この作品には僕の心を揺さぶる何かがあることは確かだ。
2010-01-20 : 2010新作 : コメント : 2 :

『武蔵境』CINEMA GIRLより・・・1999.7.12


『CINEMA GIRL』に収録したカットです。写真集では上下をトリミングしています。彼女が見ているのは近くにある大学の学生たち。友達がいるかもしれないと気になるようだった。改めてこの写真を見ると、ここは日本ではないような、、、台湾、香港、中国・・・。これは彼女の雰囲気のせい?10年で亜細亜の発展が著しく、亜細亜諸国が10年前の日本に似ているのか。ちなみに、彼女の通っていた大学は亜細亜大学だった。
ハッセル+150mm.

□このシリーズのモデル募集中。。。
2010-01-19 : シネマガールの回想 : コメント : 0 :

『阿佐ヶ谷北』CINEMA GIRLより・・・2000.4.29


『CINEMA GIRL』に収録した写真と別のカットです。こっちの方が良かったかも。この子を撮ってから数年してミッチをスカウトした。どこか似たところがある。それはどちらも小柄でグラマーなところ。もちろん、キュートなところも似ている。ハッセル+150mm、、僕が使っていたこの150mmのレンズを買ってくれた人、、まだ持っていてくれるかなあ。

2010-01-18 : シネマガールの回想 : コメント : 0 :

折り鶴・・・2010.1.12

 カホリと僕はちゃぶ台に向かい合って座った。畳の部屋は古い民家の趣きがあった。襖は大胆な色使いで、普通ではない使われ方のために造られたことがわかる。カホリをファインダーの中に納めてみた。なるほど、と僕は思った。まだカホリの表情に女の正体が現われていないのだ。僕はちょっと考える振りをした。その思わせぶりにすぐに食いつくところがカホリらしい。

「どうかしましたか?」
「別に、、」
「お着替えしましょうか?」

 そう言うとカホリはバッグから黒と肌色の二枚のスリップを出してちゃぶ台の上に置いた。僕は迷わず肌色を選んだ。カホリはすっと立って隣の部屋で着替え始めた。隣の部屋は寝室で、そこには一組の大きな布団が敷いてあり、一方の壁には造り付けの大きな鏡があった。僕のいる和室との境の襖は開けたままだったから、着替えているカホリの姿が鏡に映っているのが見えている。僕はカメラにフィルムを詰めながら一部始終を見た。カホリはわざと襖を開けっ放しにして自分が着替えているところを見せたのかもしれなかった。

「お待たせしました」
 と言ってスリップ姿のカホリがまたちゃぶ台の前に座った。僕はとりあえず1枚撮った。間を繋ぐためだ。
「私、どうすれば良いのでしょうか」
「そうだね、適当にしていてくれればいい。折り紙を折るのもいいね」
「はい。わかりました
 カホリは何だか物足りなそうだった。僕は二枚目を撮った。
「先生、あとはどうしたら良いのでしょう」
 またカホリが言った。
「そうだね、自慰でもしてもらおうか」
「ふふ・・・」
「君の本性には男っぽいところがあるね」
「えっ?どうしてですか?」
「僕にはわかる」
「・・・」
「そろそろ裸を撮らせてもらおうか」
「はい」

 大きな布団の上にうつ伏せに横になったカホリの尻の上に折り鶴をそっと載せてみた。
「私、どうしたら良いでしょうか」
「そうだね、自慰でもしてもらおうか」
「・・・」

□後日公開?


2010-01-14 : 2010新作 : コメント : 0 :

PRATFORM・カホリ・・・2010.1.12



20101.12*上野駅にて、携帯で撮影

北関東から特急『あかぎ』に乗ってやってきたカホリ。
「私、折り紙が得意なんです」
「じゃあ鶴を折ってくれたまえ」
「はい」
「背が高いね、、、」
「はい、171センチです」
2010-01-13 : PLATFORM : コメント : 0 :

『日傘』CINEMA GIRL より・・・1999.8.2



1999.8.2*代々木にて、model*miyako

このところ本当に寒いね。これどう?真冬に観る真夏の写真。季節が変わるだけで懐かしさもひとしお。。ハッセル+150mm,,なかなか良いねえ。この写真、自然でストレートだね。撮影している時の暑かったこと、、西日が強くて、、写真は記録だね、暑さを思い出すね。あれから10年経った。『CINEMA GIRL』って傑作だった??そうだ、写真集では上部をトリミングしたっけ。ノートリの方が良かったかなあ・・・
2010-01-11 : シネマガールの回想 : コメント : 0 :

『突然プロカメラマンになる方法』(19)ポートレート・・・3

~魚返一真の自伝的小説~

 モノクロのページでポートレートを撮るうちに、さらに多くのモノクロ写真を撮りたいと思うようになった。当然だが、それは人物ポートレートでなくてはならなかった。そんなある日、ある編集者から電話があった。彼は若者情報誌の編集者で、僕とは面識がなかった。彼が担当していたのは、著名な作家が悩みある若者たちの人生相談をするページで、毎回その作家の格好良い写真が大きく掲載されていた。もちろん、僕がこのページを営業のターゲットのひとつに上げていたのは言うまでもない。しかし、そのページへの営業はまだだった。なぜなら、業界に入って間もない僕にそんな大それた仕事が来るはずはないと思っていたからだ。ちょっと僕らしくないのだが。。。もっとも、誰も僕の本当のキャリアを知らないから、営業しても誰も大それたことだとは思わなかっただろう。いずれにしても、営業するまでもなく、撮影の仕事を依頼されたのだった。
 そのページはとても人気があった。雑誌をめくると巻頭にあって、ページデザインは平凡だったがとても眼についた。その理由のひとつは、その作家の存在感の大きさにあった。こんな大物作家のポートレートを撮れるんだ、そう思うとものすごく身が引き締まった。撮影日まで一週間しかなく場所は六本木、取材は夜だった。
 僕は撮影予定の若者情報誌のバックナンバーを探し、他のカメラマンが撮った写真を参考にした。なるほど、どのカメラマンが撮った写真もシックにまとめられている。しかし、僕はそれらの写真に何か物足りなさを感じた。カメラマンの主張が足りないと感じたのだ。僕ならもっと良い写真が撮れるのではないかと思った。どうしたら格好良い写真が撮れるだろう。それからあれこれ模索した。僕はまずその作家の小説を何冊か読んだ。それらはどれも僕の苦手なハードボイルド小説だった。
 やっとのことで僕は二つのパターンを考えてみた。一つは、エキストラを使うパターン。作家にエキストラを絡めて偶然性を重視した撮影をする。夜の六本木をエキストラの女を連れ歩く作家の陰影を強調した写真を撮る。もう一つは、暗闇で作家を撮る。それは以前にスケボー青年の撮影の時のように暗闇で何かが起きる可能性を想定して撮る。この2パターンのコンテを描いてみた。すると、暗闇で撮るパターンのコンテはすらすら描けた。僕は暗闇でストロボで撮ることに決めた。
 当日、作家はトレンチコートを格好良く決めていた。撮影を始めるとすぐに作家はタバコに火を点けた。僕はそのタバコの火が消えるまでの三分間が勝負だと思った。僕は撮り続けた。そして撮影はタバコの火が消えるとともに終わった。
 現像を終えてコンタクトを見た。狙い通りの写真が撮れているように見える。ストレートにプリントして大丈夫なカットが1枚と、もう一つ、ちょっとしたアイデアで良くなりそうなカットが1枚あった。しかし、その暗室作業はとても難しそうで、他人に発注しても僕のイメージ通り焼くのは無理だと思った。僕は自宅のキッチン暗室を使って自分でプリントすることにした。そのカットは、あらかじめ撮っておいた六本木の夜景に作家のポートレートを組み入れたものだった。後日、徹夜でやった暗室作業の末、僕は無事にその2カットを編集部に納めることができた。
 僕はストレートに撮れたカットと、暗室作業で手を入れたカットのいずれが採用されるだろうかと編集者の判断を待った。返事は意外なもので、その二枚とも採用された。それぞれを連載二回分に掲載すると決まったのだ。僕は自分の作品が認められたと自信をつけたのだが、そういう調子が良い時にはえてして落とし穴があるものだ。数ヶ月後、自分の未熟さを痛感し、自分の進む道に疑問を持つような事態に直面することになる。

(つづく)

■1993年1月頃だと推測されます。若者情報誌はHot Dog Press で、作家は北方謙三氏です。
□時代が前後することもあります。今後も僕の経験を書いていきます。皆さんが楽しんで頂けると嬉しいです。参考になると嬉しいです。(なるはずない?)でも拍手をお願いします。

2010-01-11 : 『突然プロカメラマンになる方法』 : コメント : 2 :

凛子・・・2010.1.10

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□携帯カメラ

 midoriの部屋を訪ねた。そのマンションは僕が二十歳の時に住んでいたアパートからひと駅のところにあった。アップダウンの多い住宅街を歩く。風は冷たいが陽射しの暖かさと混じり合って心地よい。僕は昔のことを思い出していた。とにかく僕の部屋は寒かった。室内なのに流しの水が凍ったこともああった。

「こんにちは。おじゃまします」
「ネコがいます。大丈夫ですか?」
「あ、まあ、何とか」
 どうやらmidoriは僕がネコ嫌いだということを知っているようだ。
「このネコの名前、何て言うの?」
「凛子です」
「そうですか、凛子ねえ」
「菊池凛子に似ているでしょう」

 凛子は撮影機材に興味を持ったらしかった。僕は凛子抜きに撮影をすることを諦めなければならなかった。結局、撮った写真のすべてに凛子が入ってしまった。でも、なんだかそれが自然なような気がして。案外でき上がったら、midoroより凛子の方がメインの作品になっているかもしれない。

□作品は後日公開します。
2010-01-10 : 2010新作 : コメント : 0 :

PLATFORM・ゆい・・・2009.12.26



暮れに撮った写真をアップします。新しくなったJR中央線東小金井駅でです。ゆいさんは笑顔が素敵なのにこの写真は笑顔ではありませんね。ちょうど後ろを通過した特急『あずさ』がいい感じ。ほのぼのとした作品ができました。
2010-01-09 : PLATFORM : コメント : 0 :

デパガ・・・バルセロナ



1996年,EL CORTE INGRES,model*hiromi,desin*Ikeno Junko,CG*Yoshda Kiyoko,,,
これはスペインのバルセロナにあるデパートです。この包装紙は紙ではなくビニール袋だった。モデルの女性はフラメンコを習っていたので選びました。
楽しければ何でもやった。そんな時代もあった。今年は是非、その頃の気概を思い出そう。

2010-01-05 : デパートガール : コメント : 0 :

『突然プロカメラマンになる方法』(18)ポートレート・・・2

~魚返一真の自伝的小説~

 その若者情報誌は隔週発売だった。僕が撮影していたモノクロ連載ページはもう一人のカメラマンと僕の二人がおおよそ交互に撮影を担当していた。僕は少しでも多く撮影を担当する方法はないかと考えていた。そこで思いついたのは、取材対象になりそうな若者を自分で探して編集者の寺本にプッシュしたらどうだろうということだった。さっそく僕は寺本に電話した。

「こんにちは。魚返です。今日はちょっとお尋ねしたいことがありまして」
「はいはい寺本です、いつもお世話になっています。どんなことですか?」
「実は、取材対象になりそうな若者を探すお手伝いをしようと思いまして、、」
「こっちもあちこち手をまわして探しているんですが、なかなか大変でして、、もし魚返さんの方でも探してくれるなら助かります。もし魚返さんが探してくれた若者を取材することが決まったら撮影もお願いします」
 
 寺本から取材できる若者を探したら撮影も担当させてくれる約束をもらった僕はさっそく若者探しを始めたのだった。探し始めると易々とは見つからない。編集者の寺本もそうとう苦労していたことがわかった。雑誌やテレビで紹介されている人物は、その時点ではかなり使い古されたネタだということもわかった。結局僕がこの連載用に推薦した若者はふたりだった。ひとりは、友人の妹。彼女は羊を飼いたくて東京を離れ北海道の牧場で働いている女の子だった。僕と寺本と高見の三人は一路北海道へ取材に向かった。
 もう一人の若者は、世界七大陸最高峰の最年少登頂を目指しているという若者だった。その若者を知ったきっかけは、彼のことを紹介する小さな記事が新聞に載っているのを見たからだ。僕はその新聞社に電話してみた。

「はい。読切新聞でございます」
「すいませんが、今朝の記事についてお尋ねしたいことがあるのですが」
「どのような記事でしょうか」
「七大陸最高峰を最年少で登頂することを目指している若者の記事です」
「はい、では担当部署におつなぎします。少々お待ちください」

「もしもしお待たせしました。記事のついてお尋ねだとか・・・」
「はい。七大陸の最高峰を最年少での登頂を目指している若者の記事の件です」
「ちょっと待ってください。お調べします、、、はいはい、確かに今朝の朝刊にありますね。それでどんなお尋ねですか」
「実はこの若者に興味を持ちまして、取材をしたいと、、」
「なるほど、彼の個人情報を教えるとなると、、、ところでそちら様はどのような媒体の方ですか?」
「申し遅れました。僕はカメラマンの魚返と言いまして、若者雑誌の取材カメラマンをしています」
「えっ、魚返さんというと、あの魚返善雄さんのご関係の方でらっしゃいますか?」
「はい。魚返善雄は僕の叔父です」
「そうですか!私は魚返善雄さんの大ファンなんです。お書きになられた本をたくさん持っています。そうですかあ、、それはそれは、、、」
「僕は叔父とはテレビで見ただけで面識はありません。僕が小学生の頃亡くなりました」
「魚返善雄さんのご関係の方なら問題ないでしょう。記事の若者の情報をお教えしましょう」
「ありがとうございます。助かります」

 何という幸運。僕は、死んだ叔父のおかげで読切新聞から、若者が現在住んでいるという、彼の祖母の家の電話番号を聞くことができたのだった。すぐに彼に電話した。

「もしもし、カメラマンの魚返といいます。読切新聞の記事を見てお電話しています。恐れ入りますが記事の若者とは、、、」
「はい。僕です」
「そうですか。実は、僕は若者情報誌のカメラマンです。この雑誌の連載に『彼らのスタイル』というのがあります。その連載に登場して頂けないかと思って」
「僕なんかで良かったら、取材お受けします」
「ありがとう、では詳細は編集者の寺本に電話させますので、よろしく」

 彼はとても実直な人柄で、何より一途さには驚かされるばかりだった。取材当日、僕の車まで走っ来て車を誘導してくれた姿が印象的だった。写真も日の丸をバックに撮影することを希望するなど、日本へのこだわりを感じさせる青年だった。
 こうして、僕は自分が探した若者を連載に登場させ、その二回分は余計に撮影を担当することができた。モノクロのポートレートに自信をつけた僕は、他の雑誌でもモノクロ撮影をしたいと考えるようになった。

(つづく)

■ここに出て来た七大陸最高峰の登頂を目指していた若者は野口健氏で、その後見事に登頂に成功し有名になった。読切新聞の次に取材したのが僕たちだったこともあって、野口君からはその後も登頂に成功するたびに連絡を頂いた。それから十年後、婦人雑誌の取材で今度は有名になった彼を撮影した。

□時代が前後することもあります。今後も僕の経験を書いていきます。皆さんが楽しんで頂けると嬉しいです。参考になると嬉しいです。(なるはずない?)でも拍手をお願いします。
2010-01-03 : 『突然プロカメラマンになる方法』 : コメント : 0 :

謹賀新年

旧年中はお世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いします。
皆さんのご多幸をお祈りいたします。

今年も僕のやりたいことをこのブログに発表します。
もっと僕らしい作品を撮ることを心掛けます。
先日、僕の中でプツンと音がしたような感じがして、新作への意欲がわいて来ています。
ご声援、よろしくお願いします。

2010.元旦
2010-01-01 : 未分類 : コメント : 2 :
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ogaeri

Author:ogaeri
1992年より一般の女性をモデルに作品を撮り始める。2008年「鉄道と彼女」を発表した。
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