『赤い長襦袢/ながじゅばん』




2014.11.07 model*蛍子

 長襦袢という言葉そのものに未知の色気がある。赤い長襦袢という被写体が僕にとって初めてだから当然だが、そればかりでないと感じる。あらゆる微妙な色彩を否定する大胆な赤一色が妖艶でることに間違いないが、そればかりか怨念や恐怖をも思い起こさせる。さらに白い襟によって厳格に仕切られた胸元には古いしきたりや掟さえ含まれて、ついには長襦袢を羽織る僧侶の卑猥な姿を想像させる魔性もそれは含有している。
 現代人の僕としては長襦袢に対して様々な興味と違和感を同時に抱かざるをえないが、一方ではそれを感動と受取ることもできるだろう。その感動は、ある意味で西洋文化という土壌の上では異邦人である僕が『マタイ受難曲』全曲を意味すら理解せずに通して聴いた時にわき上がるやり場のない感動に少し似ているかもしれない。僕にとって長襦袢そのものが宗教的な背徳、つまり屈折したエロスなのだろう。

 大木の陰に赤い長襦袢を羽織った蛍子を連れ込んだ。蛍子は髪が非常に長い女性で長襦袢とこれほど相性の良い女は平成には稀だと思われる。ファインダーに入れたその姿は、やはり僕が想像したとおり背徳そのものだった。







2014-11-16 : 27th個展へ向けて : コメント : 0 :

『やがて黄昏どき』




2014.10.28 model*詠子/Leica M6 summicron 35mm PORTRA400
個展では別カットを展示します。

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 色とりどりの折鶴が角度の低い秋の陽射しに照らされて古めかしく光っている。鶴を折ったのは詠子だった。詠子は夢二に描かれた娘のように色とりどりの柄の着物を重ね、いっそのこと日本髪ならなお良いと思うほど古風だった。夢二の絵と違うのは詠子がある意味で完全に大人の女だということで、その事実の中に大切なことが含まれているように思えた。たとえば、女の心中というものは永遠に乙女なのではないか、ということもそのメッセージのひとつだった。
 秋の弱い陽射しの中で折り紙を折る大人の女と対峙した僕は、やがて黄昏どきがやって来るのを実感していた。そして、詠子が美しく歳を重ねたことを記録しようと決意し、眼の前で大胆に脚をひらく詠子のためらいと僕のときめきを交互に感じながら撮影したのだった。


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2014-11-04 : 27th個展へ向けて : コメント : 0 :
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1992年より一般の女性をモデルに作品を撮り始める。2008年「鉄道と彼女」を発表した。
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