パリの写真展("ImageNation Paris" その後)



11月にパリで開催される写真展(ImageNation Paris)に魚返の作品が招待されたことはお知らせしましたとおりです。

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『パリの写真展』("ImageNation Paris" 11月開催)すでにリクエストされた四枚は本部のあるイタリアへ送りました。そこで額装された後にパリへ送られます。組織の代表であるイタリア人写真家・Martin Vegas はフランスで出版された魚返一真作品集"MOSO"を観て僕に連絡をくれたのですが彼が選んだ四枚の中に"MOSO"に収録された写真は1枚しかありませんでした。さらにプレスリリースによれば、世界各国から優れた写真家(僕以外は本当に素晴らしい)が招待されていますが日本人の写真家は僕だけでした。ちなみに僕は会期中にパリへは行かずたぶん多摩川あたりで写真を撮っていると思います。

◎展示される魚返作品
・『折鶴』2010.1.12 model*カホリ(フランス版”MOSO”に収録)
・『One Note Smba』2014.2.12 model*たま子、りな、ジェマ
・『秋の組曲』2014.10.30 model*たま子、りな、ジェマ
・『テレビジョン』2015.2.1 model*りな、ジェマ



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スクリーンショット10:22

www.imagenationparis.com
2016-10-22 : 海外 : コメント : 0 :

『悲しくなるほど愛らしい』・・・撮影報告


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2016.10.20 model*麻菜

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 僕は恐らく女を信じていない。究極の嘘つきだからだ。多くの過去から学んだことでそれなりの確信を持っている。そして自分にも同じようなところがあることを知っている。

 この娘の愛らしさには嫌味がない。嫌味のない娘を演じる究極のテクニックを持っているのかもしれない。もしそうだったら、それはどうやって身につけたのだろう。この娘の人生に答があるにちがいない。この娘の言葉にヒントがあるにちがいない。またこの娘の愛らしさに触れたが、どこにも疑わしきところはない。娘の愛らしさが相対的なものだとしたら。例えば、僕という人間と比較しての、愛らしさ、ということだとしたら。僕はどうしようもなく可愛げのない人間ということになる。

「君にこの花をたむけよう」オレンジ色のバラを一輪手渡す。
「ありがとうございます」場末の花屋で開ききったバラを売りつけた中年の女店員でさえ娘の引き立て役になった。
「ワンピースの前ボタンを外しなさい」と言うと、はにかみながら従った。その姿は僕の心を打つ。やはり娘は愛らしい。もはや、悲しくなるほど愛らしい。

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□この写真は個展で展示する作品ではありません。。



2016-10-21 : 29th個展へ向けて : コメント : 0 :

『祭り囃子が聞こえる』


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2016.10.19 model*祥子

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 この娘の控えめな態度と物言いは失われた昭和に僕をひき戻してくれる。娘に褒め言葉は通じない。ひたすら否定するだけである。最初の頃僕は苛立つこともあったけど次第に娘の行き過ぎた謙虚さを嬉しく思うようになった。草むらの中を歩いて大きな木があるところまでやってきた。途中すすきを摘んだ束を細い草で結んだ。本当は緊縛に使った紫の紐ですすきを束ねるつもりだったがその紐は娘の手首を縛るためにとっておいた。

 この場所が村はずれのような錯覚をした。遠くから祭り囃子が聴こえる。僕の田舎ではもうすぐ収穫のお祭り。先祖から脈々と受け継いだ伝統としきたりを踏まえた祭りがやって来る。吉村昭の小説『水の葬列』を読んだ時、その中に書かれた村の掟にまつわる部分は僕の先祖のことでなないかと思った。その小説は、ある欧州人がKazumaの写真に何か通じると教えてくれたのだが、何故欧州人にそれが理解できるのか未だに不思議でならない。ともあれ、娘は伝統としきたりを重んじるように、自らの控えめな態度と物言いを失わないことで日本人の謙虚という伝統を継承しているのである。

「わたし、期待にそえなくてごめんなさい」と娘はカメラを向けるとかたくなになってしまったことを謝るのだった。
「もはや、あなたが期待にそえないことが作品なんです」と言って僕は娘の両手首を紫色の紐で縛った。

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□この写真は個展での展示作品ではありません。。




2016-10-19 : 29th個展へ向けて : コメント : 0 :

『青いニット』・・・撮影報告


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2016.10.15 model*リス

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 初めて会ったのは娘が十七才のときだった。その時の娘は十七才よりもっと幼く見えた。カメラを向けること自体に何らかの問題が含まれているような錯覚をしたほどで、この娘は永遠に少女のままなのではないかと思った。「君のこと何と呼べばいい?」「リスって呼んで欲しいです」

 あれから三年が経ち目の前のリスは見違えるほど美しくなった。青いニットの上着と白いフレアスカートのコントラストが草むらの緑の中にとても映え娘がもう立派な大人の女であることを証明していた。あの頃にあった永遠の少女性はどこに消えたのだろう?いや、消えるはずはない。リスは背伸びしてまで大人になりたいのだろう。僕は少し寂しかった。

「見せられる?」
「はい」
「上も下も?」
「はい」

 娘がニットをたくし上げると黒いブラジャーをしていた。やはりリスは大人になりたいんだなと思った。美しくなった娘をファインダー越しに見ながらいずれ元の少女性を取り戻したリスを撮りたいと思った。

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□この写真は個展で展示する作品ではありません。




2016-10-17 : 29th個展へ向けて : コメント : 0 :

『ストッキングを脱いでくれ』・・・撮影報告


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2016.10.13 model*Olivia

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 これほど混じりけのない純潔を身につけた娘に出会ったことがない。娘に何かしたいという淫らな野望も娘の完璧な純潔によって新品のレインジャケットに降る雨のように弾かれてしまった。白いブラウスの首もとには濃いグレーの細いリボンが儀式的に結ばれている。そのブラウスが季節に逆らって半袖であることは娘の意志なのだろうか。つまり私は私として生きたいとでも言っているように。そんな娘が白地にチェックのミニスカートを履いているのは嫌味なほど正しい。そんな清潔な服装は東京のどの私立高校の夏服にもないじゃないか。秋になってそんな君を見せられたすべての男子は精神に電流が流され何らかの異常行動を促されるだろう。男子の端くれである僕は自らの心の中に飼っている一番無垢な少年を呼び起こして清き心を装い野草を摘んで束にした。それを何人かの女を緊縛した時に使った赤い紐で縛って娘に手渡した。雑草の上に仁王立ちした娘はあまりにも純潔で息苦しささえ感じたのだった。

「君にひとつだけお願いがある」
「はい、私にできることなら」
「ストッキングを脱いでくれないか」


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□この写真は個展では展示しません。




2016-10-16 : 29th個展へ向けて : コメント : 0 :

『亜麻色の髪の少女』・・・撮影報告


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2016.10.12 model*マリモ

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 終着駅の改札口を出ると雪子が待っていた。彼女と会うのは十六年ぶりだったがすぐ雪子だとわかった。そして雪子も白髪になった僕を見て笑顔を見せた。

「やあ、久しぶり。元気だった?しかし懐かしいね」
「ええ、何とかやっています。魚返さんもお元気そうですね」
「いやいや年相応いろいろあります」
「あのぉ、この子なんです」

 先日久しぶりに連絡してきた雪子のメールには娘を撮って欲しいと書いてあった。僕は数日考えてから撮影を承諾すると返事をした。少し迷った理由は何か問題を抱え込むことになりはしないか、という危惧があったからだ。娘を撮って欲しいという雪子の気持ちは誤解されかねないのでこの場に書くことはしない。

「お嬢さん、お名前は?」
「マリモです」

 マリモはバレエのレッスンに行く途中であるかのうような丸まげ髪をしていた。雪子からは特に娘の髪を撮って欲しいと言われていたのでちょっと拍子抜けだったが、良く見るとマリモの髪はやや茶色っぽくとても細かった。それは赤ちゃんの髪のように生まれてから一度も切ったことがないかのようだった。

 僕はふたりを連れて河川敷を歩いた。かなり年下の女に子供を産ませた初老の男の気持ちとはこういうことなのか、と思ったりした。(途中省く)撮影場所に着いた。水鳥以外の誰にも見られないと確信できる水際だった。僕は雪子に「ここでどう?」と言って持って来たゴザを敷いた。雪子はマリモの靴を脱がしてその上に立たせブラウスとミニスカートを脱がすと、服の下にスクール水着を着ていた。さらに雪子は僕の方に視線を送ったあと、これをご覧くださいとばかりに、マリモの髪をほどいた。マリモの長い髪はお尻よりずっと下まで届きしなやかにカールし野性的だった。

「美しい!」僕は夢中でシャッターを押した。
「マリモちゃんの後ろ姿を撮ってその写真を僕がキープしても良いだろうか」と雪子に言った。
「ええ、もちろん」と雪子は笑顔でつづけた。

 僕はマリモの後ろ姿を撮りながら不思議な魅力に取り憑かれた。それは僕の精神に入り込み棲み着いてしまう魔性のようだった。そして撮影が終わり駅での別れ際に「もう一度マリモを撮らせて欲しい」と言ったのだった。

 家に戻ってマリモに合った曲を探した。まず最初に、ドビュッシーの『亜麻色の髪の乙女』を聴き、つぎにヴィレッジ・シンガーズの『亜麻色の髪の乙女』を聴いた。そして、ふと頭をよぎったアメリカの『金色の髪の少女』を流してみるとこの曲が一番合っていた。四十年前に何度も演奏した思い出が僕の心に甦った。次にマリモを撮るとしたら体操着の後ろ姿かな、と思ったのだった。


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□アップした画像は個展で発表する作品ではありません。







2016-10-15 : 29th個展へ向けて : コメント : 0 :

『センチメンタルな娘』・・・撮影報告


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2016.10.10 model*tamako

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 ふと窓の外を見たら空は曇っていて景色は寒々しい。あの娘は今どうしているのだろう。娘は僕の生活圏外にいるのに心が乱れる。そんなムードに流されたくて僕はセンチメンタルな洋楽ばかり選んで聴いた。センチメンタル。それは或る時代に急に普通すぎる響きになってしまったフレーズ。今この言葉を口にしたとき、あまりの軽さに絶句する。ともあれ娘は僕が知る限りこの半世紀でもっとも日本的な美を感じさせる女の子のひとりでセンチメンタルという言葉が良く似合う。

 涼しくなった土手を歩き葦原の中を抜けた。途中ですすきを刈り束ねて娘に手渡した。

 今、僕はこの娘に何をしても構わないと仮定した。ならば僕はまず娘の美しい乳房を見たい。近づいて乳首のかたちと色を確かめよう。そしてピンク色の毛糸を渡し、あや取り遊びの基本形を作るように言う。この遊びは半世紀ほど前に絶頂期を迎え、その後ゆるやかに衰退してきた。案の定、娘は「できない」と小声で言った。僕は作り方を指導しながら至近距離で初心な乳首をみた。次に娘の手に花札の坊主を手渡すとファインダーの中に日本的倒錯が現れた。撮影中の娘はやはり僕の人生でもっとも可愛らしい女の子のひとりだった。
 
 撮影が終わり家に戻ってこの文章を書いている。しかし、僕が聴いたのは洋楽ではなく、少年時代に川で魚釣りをしながら口ずさんだ黛ジュンの『夕月』という悲し気な唄だった。ファインダーの中の娘を思い出してみると、このセンチメンタルな昭和の名曲がぴったりなのである。

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□この写真は個展で発表する作品ではありません。








2016-10-10 : 29th個展へ向けて : コメント : 0 :

『花束を忘れて』・・・撮影報告

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2016.10.7 model*美月

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 たった四ヶ月でこんなに変われるのだろうか。そしてその変化に本人は気づいていない。これは先月この娘と会った時の印象だった。「君の身に何かあった?」「いいえ」と娘はこともなげに答えた。

 僕が知る限りではこの娘ほど退廃的な魅力を持った女の子はいない。僕が語る、娘はただ聞いているだけ。また僕が質問する、娘は要点だけを短く答えるだけ。(ふっ、と息を吐くだけのときすらある)今度は僕が黙る、すると娘も黙り何ら違和感のない沈黙の時間をつくる事ができる。そんな芸当は誰もができることじゃない。しかも若い娘には。

 この娘とだったら、街はずれにひっそりと存在する入りづらい雰囲気の喫茶店で五月蝿すぎるBGMを聴きながら何時間でもいられるのではないか、ひとりでいるには寂しい時間を娘がそばにいるだけで怠惰な空間を青春という文字に置き換えることができるのではないか、と思う。

 白い長袖のブラウスを着てインディゴのスカート履いた娘に秋の草花を摘んで束にして娘に手渡した。僕は、少しずつ服を脱いでもらうよ、とだけ告げて撮影を始めた。見違えるほど魅力的になった娘はファインダーの中で意外なほど清楚だった。秋草の束は娘の魅力を増す手助けになるはずもなく、いつの間にか娘の手から消えた。そして娘はブラウスをひらきスカートを上げ下着を下げた。

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□この写真は個展で展示する作品ではありません。




2016-10-07 : 29th個展へ向けて : コメント : 0 :

『妹』・・・撮影報告


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2016.10.5 model*莉菜

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 実際のところ、この姉妹に会ってからもう三・四年になるのに二人の本当の愛らしさに気づいたのは、姉(麻菜)はつい三ヶ月前で妹(莉菜)に至ってはまだひと月も経っていないのである。ともあれ現在は、ふたりのことをそれぞれとてもとても好きなのである。

 今日、妹を撮ることに少し違和感を感じていた。それは僕が彼女の姉を撮った時に言ったのと同じ言葉が出てしまうことへのおぞましさからだった。その言葉とは、例えば「愛らしい」「清純だね」「カワイイ」「ヴァージン?」などである。例えば今日、妹を撮る時に僕が言った言葉を妹は家に戻り同居している姉に言うに違いないのだ。(実際この妹は姉に対して何でも言うらしい)しかし、二ヶ月前に姉を撮った時にそれらのフレーズはすでに使ったものである可能性が高い。

 いざ撮影の時がやってきた。はたして僕の口から出た言葉は予想したとおりだった。妹は家に戻ったら姉に今日あった事のすべてを、ありのままを語るに違いない。その中に僕が撮影中に言った言葉も当然ふくまれているだろう。それらの言葉は二ヶ月前に姉に言ったものとまったく同じなのだ。だって、仕方ないじゃないか。ふたりとも同じような褒め方をしてしまうしかない子たちなんだから。

 ファインダーをのぞくと妹は黒木華にどこか似ていてた。その愛らしさを秋の草花のように密かに咲かせていたのだ。その変化は本人でさえ気づいていない。妹は二ヶ月前に姉がしたようにブラウスのボタンを外し肩と白いブラジャーを露出したのだった。僕は愛らしくなったお祝いにと、妹に秋の草花を摘んで手渡した。そうだ、姉の時もやっぱり草花を摘んで手渡した。でも、姉に摘んであげたのは夏の草花だった。たった数ヶ月で野草が変わってしまうように娘たちは愛らしくなっていくんだ。

「わたし髪を切ろうと思って・・・」
「せめて僕がもう一回撮るまでやめなさい。せっかくの黒木華がどっかへ行っちゃうから。。。」


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□この写真は個展で展示する作品ではありません。



2016-10-05 : 29th個展へ向けて : コメント : 0 :

『裏切りに乾杯!』


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2016.10.4 model*美月紅星(みづきこうせい)

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 僕は紅星のあらゆるコスチュームに抵抗があった。さらに乾いた感性も理解できなかった。撮影のための打合せメールでの主張も受入れ難かった。たとえ撮影の時だけにしても僕はこの娘と過ごす自信がなかった。

 自分の中に人を外見で判断する部分が残っている事にさほどの驚きはなかった。僕のみならず所詮人はそんなものだと思うから。もちろん程度の差こそあれ。やはり僕はこの娘と過ごす自信がなかった。

 三日ほど前に探しておいた場所へ紅星をつれて来た。黒いワンピースを着てくるはずだったのに何故か両袖を切り落とされたパンクバンドのTシャツと穴の開いたジーンズを着ていた。僕はこの娘を撮る自信がなかった。

 しぶしぶカメラを向けた。僕の心に何かが触れて動いた。こんなに劇的なことってあるだろうか。たくし上げたTシャツからこぼれた乳房が美しい。僕の心は露出オーバー。トキメキながらシャッターを押した。

 僕の頭をよぎったのはフランスワーズ・ハーディーのルックスと歌声。「君、美人だね。とても・・・。」僕はもうこの娘から眼を離す自信がなかった。「Comment Te Dire Adieu」(さよならを教えて)少年時代に聴いたあのシャンソンが聴こえる。


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□この写真は個展での展示作品ではありません。




2016-10-04 : 29th個展へ向けて : コメント : 0 :

『悲しき冗談屋さん』・・・撮影報告


スクリーンショット20161001tamako-2のコピー


2016.10.01 model*Tamako

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十月になった。もう秋が片足くらいはきているのだ。この物悲しさはいったいどこから来ているのだろう。秋は静かに僕の心を貪る(むさぼる)ように落としていく。毎年のことだけど。

この娘の魅力は近づける人にはわかりやすく離れがちの人には手がかりすらない。つまり、娘のことを切実に気に入ってしまう人とただ素通りする人がいる。前者の僕は娘にカメラを向け美しい乳房にピントを合わせその悦びに浸りたいと思う。

多摩川の河川敷は台風による流水で僕の楽園は失われた。そうだ美しい乳房をさらした娘を川に突き落としてしまおう。今なら誰も見てはしない。川面を虚しく流れているのはジェーン・バーキンの嘆きの唄声。人生なんてどうでもいいよ、そう僕たちは悲しき冗談屋さん、と唄っている。

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□個展後の初作品です。撮影前には萩原朔太郎を読みふけっていたのに娘に会ったらジェーン・バーキンが流れてきた。個展による空白を埋めるために撮影したのですが次への何かが見えた撮影となりました。人は成長を願っていても退化を余儀なくされるのだと初老を感じたのです。モデルになってくださった娘さんにいつもより少し多めに感謝致します。


□この写真は個展で展示する作品ではありません。



2016-10-01 : 29th個展へ向けて : コメント : 0 :
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プロフィール

ogaeri

Author:ogaeri
1992年より一般の女性をモデルに作品を撮り始める。2008年「鉄道と彼女」を発表した。
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