『I shall be released~ノブを悼む』

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1976年・三宅島にて*左から、K-Ogaeri**ノブ/N-Saito*T-Okada*N-Hosaka
Photo by Kinya Saito.

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 僕は人の死について書くことはなかった。父親が顔に深く傷を負って突然死んだ時も、多くの人が死んだ3.11についても何一つ書いていない。でも今僕は人の死について書く。

 ノブが他界したのは2012年2月22日。2が五つもある折り目正しい日だった。彼の名前は斉藤伸晃。みんなはノブと呼んでいた。ノブはずっと昔バンドをやっていた時のドラマーで、その後は僕の曲の詩を書いてくれた時期もあった。仲の良い友人というより、長い間生き様を横目で見続けたいわば互いの生証人だった。

 初めてノブと会ったのは、1975年の7月。場所は銀座のビルの屋上に毎年夏になると現れるビアガーデンだった。その夜、僕はビアガーデンの陳腐なステージでギターを弾いていた。シルバーウイング、ジャンバラヤ、テネシーワルツなど純然たるカントリー・ミュージックだった。(詳細は省く)
 ビアガーデンで会ったノブは僕と同じ年齢だったが、僕よりはるかに大人だった。カッコ着けて大人ぶっていただけだったのかもしれない。しかし、僕にはかなり大人に見えたことは確かだ。僕は田舎者で子供っぽくて、ノブや周囲のやつらから「おバカで田舎者でガキ」というレッテルを貼られていた。そのレッテルを考えたのも率先して貼ったのもノブだった。

 おバカでガキの僕は、誰よりも大人になる為に懸命に走っていたノブの真後ろからノブを見ていた。いつでも僕は難しい問題を全部ノブにまかせてのんびりとギターを弾いていた。つまり、ノブのお陰で僕はずっと子供のままでいられた。

 すっかり大人になったノブは突然死んだ。ノブの死によって、とうとう僕が大人になる順番が来てしまいそうだった。そんな不安を振り払うように、思いのほか軽い棺を抱えながら「マジで死んだのかよ。ドラムスティックはどうした。まったくバカじゃねぇ?」と心の中でつぶやきながら、僕はずっと子供でいることを宣言した。それは、常に僕より大人でいたかったノブへのささやかな追悼のつもりだ。

          ☆

 DJにお願いします。ノブが好きだった『I shall be released』をノブにプレゼントしてください。ディランではなく、ザ・バンドの演奏のやつでお願いします。もちろん清志郎のではありません。ノブはドラマーだから、同じザ・バンドのドラマー、レボン・ヘルムが歌っている『The weight』もいいけど、今回は、『I shall be released』をリクエストします。あ、そうだ。ノブは、イーグルスの『Lyin eyes/いつわりの瞳』をドン・ヘンリーよろしくドラムを叩きながら歌ったこともあった。やっぱり、今日のところは『I shall be released』。

 ラジオで『I shall be released』が掛かったらそれは僕がノブにプレゼントしたリクエストです。

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「ノブがどんな男だったか?」
 そうだなあ、情が厚くて繊細で夢多き珈琲党かな。あと、頼れる兄ちゃんタイプで女にモテた。
「最後にノブに言うとしたら?」
 シブイ女をナンパして青山のモンペシェで飲もうぜ。

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         ☆☆☆
          ☆




 

□ノブ=斉藤伸晃(Ds)。享年56才。ご冥福をお祈りします。
□YouTube⇒『I shall be released』
□ノブの告別式は神道でした。拍手で送ってあげてください。拍手をクリックしてください。






2012-03-05 : 記憶 : コメント : 0 :
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1992年より一般の女性をモデルに作品を撮り始める。2008年「鉄道と彼女」を発表した。
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