『いいじゃないの幸せならば』・・・作品




2013.2.2 model*智子

            ※

 まだ冬だというのにかりそめの春の陽気になった。僕は智子を川にさそった。心が萎えて哀愁に変わろうとする時は智子と会うといい。気分が晴れて前向きになれるから。
 僕たちは何のためらいもなく待合せをして盲腸線に乗った。

「盲腸線の意味を知っている?」
「いいえ、知りません」と笑顔で言った。
「簡単に言えば、行き止まり線という意味」
「なるほど」
 僕は行き止まりがとても安心だった。どこまでも続いているとしたらこのままどこかへ行ってしまいそうだからだ。

 終点で降りて多摩川の堤防を越えると暖かい風が少し強めに吹いてきた。その風には水の匂いと水の中の生き物の匂いがついていた。

「水の匂いがする」と智子は言いながら風に合わせるようめまぐるしく表情を変えた。智子のくったくない笑顔について疑いの余地はない。それは反面で僕が暗い男だという相対的暗示のようでもあった。心の中で『いいじゃないの幸せならば』を唄った。ただ、少年時代の僕は川にやって来るとこの曲を口ずさむことがあった。詩と眼の前の女との関係はまったくないのだろうか、そう思ったりする。

 智子は白いブラウスを着ていた。その白が僕を喜ばせた。
「ボタンを外してごらん」
「・・・」智子は躊躇しながらも一つ外した。
「もう一つ外してごらん」
「・・・」また躊躇しながら外した。躊躇する智子が愛らしい。

 三つ目のボタンを外した。智子は白いブラジャーをしていた。その白が僕をまた喜ばせた。

 
            ※

 
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■『いいじゃないの幸せならば』(唄・佐良直美、詩・岩谷時子、曲・いずみたく)は1969年に発表されレコード大賞受賞作となった。中学二年の僕はこの詩とメロディーとが織りなす退廃的な世界が自分の人生の先行きの暗さにマッチしていると思った。東京へ出て来て最初に言われたのは、「オマエ、退廃的だな」だった。正確に憶えていないが二つ年上の同級生に酒の席でしみじみ言われた。この曲は最近、由紀さおりが『1969』なる意味不明なアルバムに収録して話題だが、僕はこの由紀さおり盤には何も感じない。作詩、作曲者の意図を理解していないものと考えられる。他の歌手のカバーでは、ちあきなおみ盤もそこそこだが、やはり原曲の佐良直美の唄でこそ退廃の迷路へとつながっているだろう。
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□このブログの前項で『笑顔について』を書いたが、くしくも今回の新作は笑顔の作品となった。様々な想いがある。もちろん彼女の笑顔が真実であるだろう。いずれ笑顔の続編を語りたい。




2013-02-08 : ファンタジー2013 : コメント : 0 :
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1992年より一般の女性をモデルに作品を撮り始める。2008年「鉄道と彼女」を発表した。
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