『写真は哲学か、それとも精神世界か』


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 個展が終わって2週間がたった。今日、会場で投函してもらったアンケート用紙を読ませていただいた。僕の写真が来場者の心に届いたと実感した。その中に「やはり精神世界でしょうか」と書いた人がいた。これを読んだ時、深く安堵した。写真を撮る日々の苦しみを理解してくれる人がいる、それがわかったからだ。
 写真には哲学が必要だ、と言う人がいる。僕もそうだろうと、おぼろげに肯定はしていたが、僕の写真には哲学という言葉が何となく馴染まなかった。精神世界、そうかも知れないと思う。今、言い当てられた歓びに浸っている。

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 終戦記念日。僕は朝から故郷での8月15日のことを振返っている。九州とはいえ山間部の小学校は夏休みが一週間程度短く、お盆が終わるともう夏も終わり、という物悲しさに心がどんどん沈んで行く。
 田舎の夜は漆黒だった。見上げた空には天の川。裸電球の明かりに誘われて昆虫たちといっしょに神社へ行くと、境内では神楽の舞。少年の僕は神楽が怖かった。その厳かな恐怖は夏の終わりに僕を待つ断崖絶壁の恐怖を意味していた。その時僕は、夏が終わるまでにすべてから逃げ出したいと思った。
 そして、僕は今もずっと逃げつづけている。結局のところ、何からも逃げられていない。

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女に語りかける
逃げた男は巧妙な嘘に酔う
少年になる
逃げた男を健気に見せるために
女を撮る
逃げつづけた男の終着駅

哲学というならそれもよし
それは、大人を拒む男の精神世界でしょうか




□こんな僕ですが、塾生を募集しています。・・・



                        2013.8.15 妄想写真家・魚返一真




2013-08-15 : コラム : コメント : 0 :
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1992年より一般の女性をモデルに作品を撮り始める。2008年「鉄道と彼女」を発表した。
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